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【名馬列伝】マルゼンスキー【スーパーカー】

陽気なおばちゃんお姉さんキャラとして愛されているマルゼンスキーさんですが、元ネタとなったお馬さんの事をご存じでしょうか?

最強馬について語った時に真っ先に上がるのはシンボリルドルフやディープインパクトな訳ですが、通なファンからはこのマルゼンスキーの名が上がる程の名馬です。
今回のこの不運に見舞われたマルゼンスキーの記事となります。

・何故おば、お姉さんキャラなのか?

ルドルフ会長と同年代ヅラしてますが、会長よりも7歳も年上の1974年5月19日生まれです。
ウマ娘に登場しているキャラの中ではかなりの高齢な為、お姉さんキャラという設定になったのだと思われます。

・生涯成績

1976 10. 9 中山 3歳新馬 芝1200m(良) 1着 大差

10. 30 中山 いちょう特別 芝1200m(良) 1着 9馬身

11. 21 東京 府中3歳S 芝1600m(重)1着 ハナ

12. 12 中山 朝日杯3歳S 芝1600m(良) 1着 大差(レコード)

1977 1. 22 中京 オープン 芝1600m(良)1着 1/2馬身

5. 7 東京 オープン 芝1600m(良)1着 7馬身

6. 26 中山 日本短波賞 芝1800m(不) 1着 7馬身

7. 24 札幌 短距離S ダ1200m(良) 1着 10馬身(レコード)

8戦8勝
8戦で2着につけた差は驚愕の61馬身差

マルゼンスキーがあまりに強かったため、マルゼンスキーが出走を決めたレースを回避・キャンセルする馬が続出し、中にはほとんどの馬が回避してしまいレース自体が不成立寸前になった事もあります。
ちなみにマルゼンスキーが出走したレースは全て10頭未満でした。
っと、まぁ凄そうなのはそれなりに伝わったかと思いますが、よくよく見るとG1の出走が朝日杯3歳Sしかありませんよね?
コレだけ見ると「相手が弱かっただけでは?」と思うかもですが、G1レースに出走出来ない訳があったのです。
マルゼンスキーは海外で生産された持ち込み馬であり、今以上に出場出来るレースが制限されてました。
按上の中野渡騎手は、
「28頭立ての大外枠でもいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔もしない。だからマルゼンスキーを日本ダービーで走らせてくれ。そうすれば、どの馬が一番強いかわかる」
と周囲に漏らしたといわれてます。

・規格外の強さ

生まれつき脚部に不安のあったマルゼンスキーは満足な調教が行えなかったそうです。
関係者からは「まともな走れるのだろうか?」という不安があったそうですが、新馬戦から圧勝を続けます。
持って生まれたスピードが違うためか、普通にレースに走るだけでスタートから周りの馬がついてこれず、結果として「逃げるつもりはないのに逃げる形になって、そのまま悠々とゴール」というレースが繰り返されます。

・伝説のレースその1

朝日杯3歳S(現:朝日杯FS)では2着に13馬身差という大差をつけレコード勝ちをするのですが、2着の馬は3着に3と1/2馬身差をつけており、マルゼンスキーが出場しなければ2着のヒシスピードが圧勝していたはずでした。
しかもこの時、鞍上の中野渡騎手はムチを入れておらずレース後に「本気で追ったら、あとふたつ(2秒)は縮まったはず」とまで言ってます。
当時の馬場は現在より2秒以上時計がかかる状態だったので、現在の中山競馬場で走ったとしたら1.30.0を切る計算になるそうです。

・伝説のレースその2

日本短波賞(現:ラジオNIKKEI賞)でもマルゼンスキーはスタート直後から一気に加速し、向こう正面では8馬身以上の大きなリードを作っていました。
しかし3コーナーの手前から突然失速し後続の馬たちが猛追する中、レース前半に作った大差リードを全部吐き出してしまいます。
故障発生を予感させる不自然な減速に、実況のアナウンサーも思わず「なんか止まった!」と言いましたが後続に並びかけられた瞬間再び加速し、4コーナー出口から突き放します。
結果、7馬身差の圧勝でした。
この時の2着馬が、後の菊花賞をレコードタイムで制したプレストウコウです。
しかもこのレースは不良馬場で、一度止まりかけて再加速して勝てる様な馬場状態ではありませんでした。
「同世代相手なら、遊んで勝ててしまう」とまで言われたマルゼンスキーです。

・伝説のレースその3

ラストランとなってしまった短距離Sですが、デビュー以来のダート戦で古馬との対戦も初めてでした。
このレースには朝日杯2着のヒシスピードや重賞を6勝した実力馬のヤマブキオーなども参戦していたのですが、10馬身差の圧勝をします。
1200mという距離で実力馬相手に10馬身差って、ゲームじゃないと無理だと思いますw

・不運につぐ不運

先に述べた通り、持ち込み馬の為出場可能なレースが大きく制限されていた不運なマルゼンスキーですが、不運はそれだけではありませんでした。
短距離S後に函館に移動したマルゼンスキーですが、調教中に中野渡騎手の代役を務めた騎手が御しきれずに埒に衝突し、これが影響して屈腱炎を発症してしまいます。
屈腱炎は比較的軽めの症状で獣医からは「出走可能」との診断を受けますが、馬主の橋本氏が患部に手を当てようとすると脚を上げる仕草をすることから痛がっていると判断し引退する事となりました。
もし怪我がなければ有馬記念に出走するローテーションで、翌年の凱旋門賞も狙っていたそうです。

・種牡馬として

引退後は強いだけでは無く超が3つ程付く程の良血であるマルゼンスキーは種牡馬生活を送ります。
主な産駒は以下の通りです。
・ホリスキー(1982年菊花賞)
・ニシノスキー(1982年朝日杯3歳ステークス)
・スズカコバン(1985年宝塚記念)
・レオダーバン(1991年菊花賞)
そして

サクラチヨノオー(1987年朝日杯3歳ステークス 1988年東京優駿)です。
他にも重賞を勝利した馬は多数おりますが、割愛させて頂きます。
ブルードメアサイアー(競走馬の母馬の父馬、人間でいう母方の祖父にあたる馬)としては、孫にライスシャワー、ウイニングチケット、スペシャルウィークなどがおります(他にもG1馬がいます)
種牡馬としても優秀だったマルゼンスキーです。


マルゼンスキーが現役の事の私はまだバブバブ言ってるお年頃だったので知らなかったのですが、ダービースタリオン(ファミコン版)でマルゼンスキーに興味を持ち競馬博物館に通い色々と勉強しました。
当時の私は「こんなにも凄い馬がいたのか!」と驚いたモノです。
※今はyoutubeとかで見れますが、当時はテレビや競馬場以外でレースを見ようと思ったら博物館みたいな所にイク必要がありました。

驚愕の大差勝ち「これは強い!マルゼンスキー圧勝です」【朝日杯3歳ステークス1976】
↑2着が可哀そうだった朝日杯

1977 日本短波賞 マルゼンスキー
↑これぞまさに固有スキル「紅焔ギア/LP1211-M」です。

1977(S52)日刊スポーツ杯短距離ステークス(札幌)
↑ラストランとなった短距離Sです。


可哀そうなのはマルゼンスキーだけで無く、同期のクラッシックを勝った馬たちが「マルゼンスキーが出てたら相手にならなかったな」と言われていた事です。
3レースとも古い映像なので画質がアレですが、短時間で視聴出来ますのでどうかご覧になって下さい。
不運の名馬であるマルゼンスキーですが、ウマ娘では陽気なおばちゃんとして愛されてるのが本当に嬉しいです。

しかも強いですからね。
もし現役を続けられて有馬記念を勝っていたら、チート級の能力になっていた事でしょう。
※水マル強すぎですけども
スーパーカーと呼ばれた名馬マルゼンスキー
ウマ娘で愛用されている方は多いと思いますが、如何に凄いお馬だったのかという事も知っておいて頂きたいと思ってます。
ある意味ルドルフ級か、それ以上に凄かったお馬だと思って頂けましたら幸いです。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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