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【名馬列伝】ウオッカ【最強牝馬】

後にドバイターフを含むGⅠレースを9勝もしたアーモンドアイが誕生する訳ですが、未だに多くの競馬ファン&関係者の間では「ウオッカこそ最強牝馬」という評価を受けております。
今回はそんなウオッカの凄さを世に伝える記事となります。

◆生い立ち

ウオッカの母、タニノシスターは1993年に北海道浦河町の吉田稔牧場で生産されます。
牝系はシラオキに遡ることができ、父はルションで牧場からセリに出されて、日本中央競馬会が購入します。
所有者を決める抽せん会では、カントリー牧場代表の谷水雄三氏に指名され購入となりました。
※桜花賞出走など33戦5勝
引退後は谷水氏が18頭までと制限していたカントリー牧場の繁殖牝馬の一員となり、2003年の交配相手には、同じくカントリー牧場生産の2002年の日本ダービーを勝利した新種牡馬タニノギムレットが選ばれます。
2004年4月4日、北海道静内町のカントリー牧場にて鹿毛の牝馬(後のウオッカ)が誕生し、同じくカントリー牧場で育成される事となります。
牧場では牝馬が軽視される傾向にあったため当初は注目される存在ではなかったのですが、調教が進むにつれて動きが鋭くなり、騎乗担当の只松氏が操る事が出来なくなるほどでした。
ちなみにウオッカという馬名は「ウオッカ」が「ギムレット」よりもアルコール度数が高いことに因み「タニノギムレットよりも強くなってほしい」という願いが込められてるそうで「水で割らずにストレートの方が度数が高い」という事で冠名「タニノ」を用いず馬名は「ウオッカ」になりました。
2歳春、角居厩舎に入厩し厩舎スタッフの中では「シーザリオ級の牝馬が入ってくる」と期待され、初めから年上の馬とともに調教が行われました。
夏には、GI優勝馬のデルタブルース、ハットトリックと併せ馬を消化するなど、年上かつオープンクラスの能力を持つ馬でないとウオッカの相手をすることが出来ませんでした。

◆ジュニア期

発熱の影響でデビューが遅れましたが10月29日、京都競馬場の新馬戦(芝1600m)を3馬身半差で快勝します。
2戦目は11月12日の黄菊賞(500万円以下、芝1800m)に出走します。
このレースではウオッカを逃げ馬にすることを避けたかったため、角居調教師の指示で四位騎手に折り合いを教える騎乗を指示しました。
スタートから指示通りに中団に位置取り、直線で追い上げますが1馬身半及ばず2着に敗れてしまいます。
続いて、阪神ジュベナイルフィリーズでは獲得賞金的に出走が危うかったのですが、回避した馬が多かったため抽選で出走が可能となり4番人気に支持されます。
中団からの競馬となり、直線で外に持ち出し追い上げを開始。
1番人気アストンマーチャンが先行から抜け出しており、残り200m地点では約3馬身もの差がありましたが、末脚を見せてアストンマーチャンの外から迫り、クビの差差し切って勝利します。
走破タイム1分33秒1はレコードタイムで、年末表彰では289票中271票を集めてJRA賞最優秀2歳牝馬を受賞します。

◆クラッシック期前半

年明け初戦は2月3日のエルフィンステークス(OP)では他馬より2kg重い56kgの負担重量で出走しますが馬なりで3馬身差をつけて2連勝します。
続いて3月3日、桜花賞のトライアル競走であるチューリップ賞1番人気でしますが、

生涯のライバルとなるダイワスカーレットと初対戦となります。
好位から直線で逃げるダイワスカーレットに外から並んで競り合いとなり、3番手以下を突き放しながらウオッカがダイワスカーレットにクビ差をつけて勝利し3連勝を飾ります。
桜花賞ではウオッカが単勝オッズ1.4倍の1番人気で、続く2、3番人気は、アストンマーチャン、ダイワスカーレットが5倍台のオッズで、4番人気以下は30倍台に飛躍してたため「三強」と呼ばれました。
スタートからダスカが好位となり、ウオッカはその後方につけます。
直線で抜け出したダスカの外から追い上げますが、鞍上のアンカツこと安藤勝己騎手の妨害とも取れず騎乗により突き放され、1馬身半遅れた2着となります。

◆11年ぶりの牝馬出走

桜花賞敗退後は、牝馬クラシック二冠目のオークス・・・ではなく、日本ダービーに出走します。
谷水氏はカントリー牧場生産馬としてダービー4勝目、並びにタニノギムレットの仔で東京優駿優勝を目指しており、ウオッカはそのどちらも叶える資格を有しておりました。
さらに、デビュー前から古馬のオープンクラスと互角の併せ馬ができる能力を持ち合わせているという角居調教師から報告があったため、1996年のビワハイジ以来11年ぶりとなる牝馬によるダービー出走が実現します。
この選択に「無謀」といった声や、調教師OBによる新聞紙上での批判表明も出ました。
ダスカが感冒によりオークス出走を取り消したという事もありましたし、私も「流石に無理やろ」と思ってました。

64年ぶりの牝馬のダービー制覇
1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続いて64年ぶり史上3頭目、優駿牝馬が春に移設されてから初めて、戦後初めてとなる牝馬による東京優駿制覇となる快挙です。

マグレなどでは無く、馬場のど真ん中から後続を突き放しての圧勝で度肝を抜かれました。

◆クラッシック期後半

その後はフランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞を目指し、古馬とのレース経験を積むために宝塚記念に参戦します。
1996年のヒシナタリー以来11年ぶりとなる3歳牝馬出走でしたが、初対決となる古馬を上回り1番人気に支持されますが・・・
良いスタートを切るも折り合いがつかず、最終直線で伸びを欠いて8着に敗れます。
気を取り直してフランス遠征に向けて調整を進めますが、右後脚に蹄球炎を発症しフランス遠征が中止となります。
秋は日本国内に専念することになりトライアル競走を使わずぶっつけで秋華賞に挑みます。
単勝1番人気での出走となりましたが、ダスカに敗れて3着。
続くエリザベス女王杯では前日発売で1番人気に支持されますが、出走当日朝に右関節跛行のため出走取消。
2週間後のジャパンカップでは2番人気で、後方待機から外に持ち出して追い上げるも4着。
有馬記念のファン投票では10万5441票を集め、牝馬としてはエアグルーヴ、ヒシアマゾンに続いて史上3頭目、3歳牝馬としては史上初めて1位となるも直線で伸びず11着と惨敗してしまいます。

JRA賞表彰では、JRA賞最優秀3歳牝馬部門にて全289票中14票で次点となり、残り275票を集めて受賞したのは7戦4勝2着3回、牝馬二冠のダイワスカーレットでした。
一応牝馬による東京優駿勝利が評価され、JRA賞特別賞はを受賞する事が出来ました。

◆苦戦の継続

古馬になっての初戦は2月23日、京都記念(GII)でしたが、後方待機から追い込むも6着。
この頃から「ダービーが全盛期でもう終わった」という見方をしていた方も少なくは無かったはずです。
私としてはもうひと花咲かせて欲しいと思ってましたが、牝馬が古馬になってから成長するケースは少ないのであまり期待はしてませんでした。
そんな状況でドバイに遠征しドバイデューティーフリー(GⅠ)に出走。
4,5番手で最終コーナーを回り、直線で1度抜け出す場面もありましたが、かわされ4着に敗れます。
帰国後はヴィクトリアマイルに単勝オッズ2.1倍の1番人気で出走しましたが、3/4馬身及ばずの2着。
ダービー以降、丸一年勝利する事が出来ない苦しい状況が続きます。

◆復活

ダービー馬による安田記念出走は1989年のサクラチヨノオー以来2度目の事でしたが、好スタートから先行し、直線では馬場の最も内側から抜け出し後続に3馬身半の差をつけ優勝。
378日ぶりの勝利を飾ります。
宝塚記念のファン投票では1位となる7万5594票を集めますが出走を回避し夏休みを取ります。
秋は毎日王冠(GII)からの始動となり、初めて逃げに出て最終コーナーを先頭で通過しますが、ゴール目前で差されてアタマ差の2着に敗れます。
次戦となる天皇賞(秋)では出走馬17頭すべてが重賞優勝馬である中、ウオッカは単勝オッズ2.7倍の1番人気に推されます。
ライバルのダスカが3.6倍の2番人気、1歳下のダービー馬のディープスカイが4.1倍の3番人気となり、オッズ一桁台の人気はこの3頭だけでした。
スタートからダスカが逃げる中、ウオッカはディープスカイと並んで中団を進み、ハイペースの中、馬場の最も内側を逃げるダスカが先頭のまま最後の直線に入り、ディープスカイとともに追い上げます。
残り200メートルでは内で逃げるダスカ、外から迫るディープスカイとウオッカで3頭が横並び状態となりますが、次第に外2頭の末脚が勝り、一番外のウオッカが先頭に躍り出ます。

しかし残り100mからダスカが盛り返してウオッカに迫り、2頭の並んだところでゴール。
どちらもウイニングランは行わないほどの接戦で、走破タイム1分57秒2はスペシャルウィークが1999年に樹立したレースレコードを0.8秒更新ほどでした。
13分にも及ぶ写真判定の末、わずか2cmの差でウオッカの勝利が確定します。
GⅠ級競走4勝目、史上初めて牝馬による牡牝混合GⅠ級競走3勝、そして牝馬による天皇賞制覇は2005年のヘヴンリーロマンス以来3年ぶりで、、牝馬による天皇賞1着2着は、1958年の1着:セルローズ、2着:ミスオンワード以来50年ぶりでした。
そんな記録よりもゴールした瞬間の青嶋アナの「大接戦ドゴーン!」が印象的過ぎましたw
続くジャパンカップでは安田記念と同じく先行しますが、スローペースのために抜け出すほどの末脚を発揮することができず3着に終わります。
有馬記念のファン投票では13万6619票を獲得し2年連続で1位となりますが、出走を回避します。
JRA賞表彰では、全300票中180票を集めてJRA賞年度代表馬と196票を集めてJRA賞最優秀4歳以上牝馬を受賞します。
牝馬による年度代表馬受賞は1997年のエアグルーヴ以来、11年ぶり史上2頭目でした。

◆海外遠征

前年に続いてドバイに遠征し、前哨戦のジェベルハッタ(GⅡ)に出走しますが5着。
そして本番のドバイデューティフリーは、イギリスのブックメーカーに1番人気の評価を受けるも7着に敗れます。
敗因は色々考えられますが、元々安定性に欠ける馬なのでコレがウオッカの実力だとは思えませんでした。

◆公開調教

帰国後は、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの出走オファーもありましたがお断りして国内に専念する事となります。
前年度敗北したヴィクトリアマイルでは単勝オッズ1.7倍の1番人気で支持率を48.2%も集めます。

結果はレースレコードを0.1秒更新し7馬身差をつけての圧勝。
「牝馬限定ならダスカ以外は勝負にならない」
「コレが公開調教というヤツか」
など、勝利したウオッカに様々な賛辞が送られました。
この時点でGⅠ級競走5勝目となり、メジロドーベルが保持していた牝馬によるGI級競走最多勝利記録に並び、牝馬の最高獲得賞金額もホクトベガやエアグルーヴを上回ります。
更に安田記念でも単勝1.8倍の1番人気に支持され勝利します。
「ウオッカのベストレースは?」と聞かれた時にダービーやダスカと死闘を演じた天皇賞が思い浮かびますが、このレースの内容も凄まじいモノでした。

他馬に警戒されていたウオッカは完全にブロックされた状態で、残り400mを過ぎても追い出す事が出来ない状態でした。
残り200mでも前が空かずに3,4頭分外側に移動するほどで、わずかに開いた隙間を左右の馬に接触しながら突破した時は4馬身前の先頭だったディープスカイの背後であったため、もう一段階外に移動し、残り100mから追い上げを開始して差し切るというとてつも無い走りでした。
1993年のヤマニンゼファー以来史上2頭目、牝馬初となる安田記念連覇でGⅠ級競走6勝目となり、牝馬によるGⅠ級競走最多勝利記録を更新、総収得賞金は牝馬として史上初めて10億円に到達しました。
宝塚記念のファン投票では13万9507票を集めて1位となりますが、は出走せずに放牧に出されます。

◆ジャパンカップ出走

秋は毎日王冠から始動し、1.3倍の1番人気に推されながらも逃げたのがよくなかったのか2着。
続く天皇賞(秋)でも1番人気に推されますが、後方待機で届かずの3着でした。
「ダービーや前年の天皇賞は勝ってるモノの、得意な距離は中距離よりもマイルなんじゃないか?流石に外国馬相手はキツイのでは?」
そんなイメージを持っていた私ですが、次戦となるジャパンカップでも1番人気となります。

レースは先行策を取ったウオッカが残り400mで抜け出しますが、大外からオウケンブルースリが追い上げて迫り、ギリギリハナ差で勝利します。
GⅠ級競走7勝目は、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトの持つ最多勝利記録に並び、牝馬によるGⅠ級競走最多勝利、最高獲得賞金記録をさらに更新します。
加えて、史上初めて日本調教馬の牝馬によるジャパンカップ制覇でもありました。
ジャパンカップ出走後は競走中に鼻出血を発症していたことが判明しし、日本中央競馬会の「痼疾馬の出走制限」の規定により、施行日から1ヶ月間出走停止処分が下されます。
そのため有馬記念のファン投票では10万5059票を集めて史上初めて3年連続1位となりますが、停止期間内だったため出走する事が出来ませんでした。
2009年度のJRA賞表彰では、全287票中246票を集めてJRA賞年度代表馬、満票でJRA賞最優秀4歳以上牝馬を受賞。
史上初めて牝馬による2年連続年度代表馬受賞となり、牡馬を含めれば、史上6頭目の2年連続年度代表馬受賞となりました。
年内で引退の予定でしたが有馬記念に出走出来なかった事もあり、3月4日のマクトゥームチャレンジラウンド3(GⅡ)に出走するも8着と敗退。
直後に競走中に2度目の鼻出血があり、その後予定していたドバイワールドカップ出走を断念し引退となりました。
2011年5月9日、顕彰馬選定記者投票で186票中157票(得票率84.4%)を獲得。
クリフジ、トキツカゼ、メジロラモーヌに続いて牝馬4頭目となる顕彰馬となりました。

◆東京巧者

東京競馬場では12戦6勝、GⅠを6勝を挙げた事から「東京(府中)巧者」「府中の申し子」「ホームグラウンド」と言われました。
中でも4歳2月の京都記念以降は、左回り、国内では東京競馬場に出走し続けており、東京競馬場芝1600mはウオッカの「絶好の舞台」でした。
実際左回りが得意だったみたいで、角居調教師によると「右トモをひねりながら前に出していたんです。そこからエネルギーが逃げるので右回りだと力を出し切れず、またそれが蹄踵部の不安につながったのだと思います」との事でした。
5歳秋時点ではそれを克服していたそうですが、厩務担当の中田陽之氏によれば「いつもレース後、東京競馬場から栗東トレーニングセンターに帰ろうとすると、なぜかウオッカが怒るんです。そのまま動かずにいる方が気分がいいんですかね。本当に東京競馬場が好きなのかもしれません」と証言しております。
東京競馬場内、正門から向かって左 (東方)に150 m程の位置にあるローズガーデンにウオッカの銅像が建立され、2014年4月23日に除幕式が執り行われました。

◆レーティング

ワールド・ベスト・レースホース・ランキングではウオッカは2007年にレーティング117で世界79位、2008年にレーティング120で世界41位、2009年にレーティング120で世界43位でした(凄い事です)

ライバルのダスカは故障が多く、ウオッカよりも早く引退してしまったのが残念でした。
今では牡馬顔負けの牝馬は珍しくありませんが、その先駆けとなった両馬の功績は計り知れません。
最近競馬に興味を持った方ですと「牝馬にしては強かった」程度の認識かもしれませんが、当時はダスカと並んで国内最強レベルの競走馬で、凄まじい人気があった事は知っておいて頂きたいのと、ダービーは勿論ですが天皇賞や安田記念といった名レースを一度でもいいからyoutube等でご覧になって頂きたく存じます。
ウマ娘だと牡牝の区別が無いので、いまいちウオッカの凄さが伝わらないのですが、リアルの方は本当に凄かったんです。
凄すぎて過去一長い記事となってしまいましたが、ここまで読んで下さり誠に有難う御座います。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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