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【名馬列伝】ヒシアマゾン【女傑】

生まれた時代が早すぎた女傑ヒシアマゾンの紹介記事となります。

◆生い立ち

1991年3月26日にアメリカ合衆国ケンタッキー州のテイラーメイドファームという巨大牧場で生まれ、外国産馬という扱いになります。

馬主は「ヒシ」の冠名を使う事で知られる阿部雅一郎氏で、全20戦の内18戦の手綱を取った主戦騎手は中舘英二氏となります。
馬名はヒシアマゾネスで登録するつもりでしたが、日本軽種馬登録協会に却下され、苦し紛れにヒシアマゾンで登録しなおしたらOKだったそうです。

◆ジュニア期

1993年9月19日の新馬戦を中舘英二騎手とのコンビで快勝しますが、続くプラタナス賞、京成杯3歳Sと2戦連続で2着でした。

実はデビューしたての頃は脚部に不安があり、新馬戦とプラタナス賞はダート戦で、3戦目の京成杯3歳Sが初めての芝でのレースでした。
初めての芝で牡馬相手に惜しい勝負をしたヒシアマさんは阪神3歳牝馬S(GⅠ)では2番人気に推されます。
レースは2着に5馬身差をつけて圧勝し、一躍牝馬のスターダムに躍り出ます。

◆伝説のクリスタルカップ

明けて1994年春、当時は外国産馬にクラシックへの出走が認められていなかったため、裏街道を歩む事になります。
年明け緒戦の京成杯はビコーペガサスに敗れ2着となりますが、続くクイーンカップ(GⅢ)を勝利しクリスタルカップ(GⅢ)に挑みます。

前年度の最終3歳牝馬が何でGⅢを連戦してるのかというと、外国産馬に出場できるレースがかなり限られていたためです。

馬券は買って無かった私ですが、何となくヒシアマを応援してました。

「残り200mでこの差は届かんやろなぁ」

「残り100m やはり無理か」

「んんんん!???」

このレースは1200mです。

残り100m地点では4馬身もの差があったのに、ハナ差とかでは無く1馬身差をつけて勝利した驚異の末脚には井崎脩五郎氏も驚嘆しておりました。


第8回 クリスタルカップ (GⅢ)  ヒシアマゾン 中舘騎手

本当に凄いレースなので、是非ご覧下さい。

◆エリ女までの快進撃

「漆黒の弾丸」と呼ばれる様になったのはこの頃でしょうか?
次戦となるNZT4歳S(GⅡ)を勝利した後に、夏場を休養。

秋は10月のクイーンS(GⅢ)に駒を進めます。
初めての2000mでしたが、スタート直後に最後方へ下げ、残り1000mから外をマクっていって進出してそのまま勝つという横綱相撲を披露します。
続くローズS(GⅡ)も同様の勝ち方で、格の違いを見せつけます。

目標となっていたエリザベス女王杯では、オークス馬のチョウカイキャロルと対戦する事になりましたが、激しい叩き合いの末勝利します。
この勝利によりクイーンカップから数えて6連勝となり、年末の有馬記念で最強馬との対決となります。

◆ブライアンとの対決

並み居る古牡馬が揃ってた有馬記念ですが、相手は三冠馬ナリタブライアンただ1頭です。

レース運びもブライアンをマークする形で、4コーナー付近でヒシアマはブライアンに競りかけたが・・・
ブライアンはこれまで以上の瞬発力を発揮して後続を突き放し、ヒシアマも勢いを保持したままを追走しましたが3馬身差つけられての2着でした。

このレースはブライアンの強さが際立っておりましたが、3着ライスには2 1/2馬身差もつけたヒシアマの強さも凄かったのです。
GⅠを含め重賞6連勝中の馬が6番人気だったのは、当時「牝馬が有馬記念で通用する訳無い」という固定観念があったからです。
そんな中、3着に差をつけての2着は堂々たる結果というか、勝ったブライアンが化け物だったという話です。
実はこの時ブライアンとヒシアマの馬連1点勝負をするか、ブライアンの単勝1点勝負かで悩んでたのですが、後ろ脚質のヒシアマの事が信じられずに単勝馬券を買ってしまいました。
単勝に50万賭けて60万になりましたが、馬連を10万でも勝ってれば82万円になっていたので今でも後悔してます()

◆シニア期

春にアメリカ遠征に挑戦するのですが、レース直前に脚部不安に見舞われ帰国します。
帰国後緒戦の高松宮杯(GⅡ)ではそれまでの実績から圧倒的1番人気に支持されるのですが、スタートから折り合いを欠き逃げる形となってしまい5着に敗れ、デビューからの連続連対記録が12で途絶えるなど、上半期は不本意なシーズンになりました。

ちなみにこのレースはマチタンが勝ちました。

秋初戦はオールカマー(GⅡ)からの始動でしたが、スタートで出遅れた上に前半の1000mが65.2秒の超々々スローペースでした。
残り1100mになって中舘騎手が「そろそろ、ゆっくり進出しようか」と手綱を緩めるとその瞬間にヒシアマの闘争心に火が付き、凄い勢いで外をマクっていき、残り1000mの時点で早くも2番手に立ちます。
4コーナーを回って310mの直線に入ってきた時には先頭で抜け出し、襲いかかってきたアイリッシュダンスに合わせて末脚をガッチリ伸ばし「永遠に縮まらないクビ差」と評された勝利を得ます。
翌月には京都大賞典(GⅡ)に出走しますが、レガシーワールドが大逃げする中、最後方の13番手という位置取りでレースを進めていきます。
3コーナーでも上がっていかず、4コーナーで大外をぶん回し、とてつも無い加速を魅せて2馬身半の差付けてゴールします。
ヒシアマは残り400m地点から残り200m地点までの1ハロンで11番手から4番手にまで浮上しており、この区間のレースラップが11秒2なので、ヒシアマの走りはそれよりももっと速い「1ハロン10秒6」と推定され、競馬界に衝撃を与える事になりました。


NBA Top 10 Plays of the Night | January 4, 2023

このレースもクリスタルC同様凄いので、宜しかったらどうぞです。

◆ジャパンカップ

この当時は天皇賞(秋)が外国産馬に開放されておらず、古馬牝馬が参加できる牝馬限定GⅠレースも存在しなかったので、ジャパンカップが唯一の選択肢でした。
レースではスタートで出遅れ、その直後に不利もあって最後方まで後退します。

更に最初の1000mが61.0秒というスローペースとなり馬群が圧縮される中、3~4コーナー中間地点の残り800mを過ぎてもヒシアマはまだ最後方でした。
残り750mぐらいになって大けやきの向こう側から各馬が出てくると、ついにヒシアマが外からマクりを開始します。
最終直線に入る処で火を噴くような勢いの末脚を炸裂させますが、最後まで勢いを保ったランドに1馬身半だけ届かない0.2秒差の2着に終わります。
ランドの上がり3ハロンが34秒8で、ヒシアマの上がり3ハロンが34秒7。
残り600mの時点で発生していた1馬身半ほどの差をほとんど詰められませんでした。

この当時は牝馬が牡馬に混じって2000m以上のGⅠを勝つ事は夢のような話だったので、非常に惜しかったと思います。
ブライアンとヒシアマの馬連1点勝負の私は馬券を外しました。
※ブライアンは6着

◆その後

有馬記念ではブライアンを抑えて1番人気になります。

牝馬が1番人気になったのは1958年のミスオンワード以来37年ぶりであり、そのとき以来の史上2度目の快挙でしたが、スタートでは派手に出遅れて、ジャパンカップの疲れが抜けていなかったのかいつものキレが無く5着。
勝ったのは菊花賞馬のマヤノトップガンでした。
年が明けてからは蹄の調子が悪くなり、6月の安田記念までレースに出れませんでした。
しかし久々のレースな上に、マイル戦は2年ぶりという事で、早い展開についてゆけず10着と大敗を喫します。
自走は宝塚記念の予定でしたが、再び蹄の状態が悪化し休養に入ります。

この年から古馬の牝馬にも開放されたエリザベス女王杯に挑みますが、いつものキレが見られず2着。
先行策を取りながらもペースはスローだったので、勝てると思われたのですが・・・
しかも進路を妨害したという事で7着に降着となります。
続く有馬記念でも爆発的な末脚は発揮できず、5着に終わります。

現役は続行され京王杯スプリングカップを目指して調整してましたが、屈腱炎の発症し引退となります。

◆性格について

ウマ娘では「タイマンだぁ!」が口癖で、気性の荒い一面を見せております。

実馬の方もレース中は出遅れ癖&掛かり癖があり、闘争心がかなり強いタイプでした。

対して普段は女子力が高く、優しくて人望のあるお姉さんといった感じです。

実馬の方も担当厩務員の方は「普段はおとなしい馬」「普段は品のいい控えめな女性」と語っており、人なつっこくて甘えん坊な性格でもあったそうです。

好物はリンゴだそうです。

最優秀3歳牝馬と最優秀4歳牝馬に選出されGⅠも2勝しておりますが、凄い実績ばかりのウマ娘の中では地味に見えてしまうかもしれません。

もしジャパンカップで勝っていれば・・・

あそこまで不利が続いた中で、もう少しまともな競馬が出来ていれば・・・

もう少し楽なローテーションを歩んでいれば有馬記念も・・・という想いはありますが、当時は外国産の牝馬が出走出来るレースが少なかったのが悔やまれます。

直線一気という脚質だったので不安定だったのは仕方ありませんが、全盛期のブライアン以外には力負けしなさそうなイメージがありました。

当記事に貼った2レースは本当に凄いので、是非是非ご覧になって下さい。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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