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【名馬列伝】ダイイチルビー【華麗なる紅玉】

父はスピードに長けた「天馬」トウショウボーイ、母系もスピードに長けた「華麗なる一族」マイリー。
おまけに母と母母は、共にJRA賞受賞のハギノトップレディ、イットーです。
スピードの一流馬同士の配合は「夢の配合」と形容され、破格の1億円で取引されます。
名前とその取引価格から「1億円牝馬」と呼ばれ、牝馬として史上初めてグレード制導入後の安田記念を優勝し、牝馬として史上初めて2回牡馬を退けてGⅠ優勝を成し遂げます。
総獲得賞金は4億円に到達し、当時の牝馬の歴代最高賞金記録を樹立した名牝中の名牝であるダイイチルビーの紹介記事となります。

◆華麗なる一族

母のハギノトップレディは桜花賞とエリザベス女王杯を勝った名牝であり、父のトウショウボーイは競走馬としては卓越したスピードを見せた事から「天馬」、種牡馬としては産駒の勝ち上がり率の高さから「お助けボーイ」と崇められてました。
偉大な両親の元に生まれますが、伊藤雄二調教師が外見と脚の不安見て「この仔の将来は明るくない」と思って預かる事を躊躇ったそうです。
しかし、お嬢の走りを見た時は「すごい動き……同じ歳の馬とは一段階レベルが違っていた」との事で、俄然期待が懸かりました。
伊藤調教師は馬主さんに「3歳で使ったら間違いなく壊れるので4歳まで辛抱してくれ」と言い、デビューはクラッシック期からとなりました。

◆苦労した時期

1990/02/25 マイルの新馬戦を5馬身差をつけて逃げ切ります。
続く2戦目の条件戦も2番手からの進出で難なく勝ちます。
3戦目は桜花賞を予定してましたが抽選漏れし、OPに出走するも重馬場に苦しみ2着。
4戦目はトライアルレースであるGⅡに出走し、2着入選でどうにかオークスの出走権を手に入れます。
GⅠ初挑戦となったオークスでは2番人気に推されるも、出遅れて5着。
距離適性の壁もあったと思います。
秋はローズS(GⅡ)から始動するも良いレースが出来ず5着と敗北し、レース後右後脚にフレグモーネを発症したため休養に入ります。

◆1億円牝馬の貫禄

古馬となった年明け初戦の洛陽S(OP)は出遅れが響いて2着でしたが、この辺りからお嬢が本格化します。
中1週で挑んだ京都牝馬特別(GⅢ)で重賞初勝利を挙げ、続く 中山牝馬S(GⅢ)では斤量が少し重たかったせいか3着でしたが、次戦の京王杯スプリングC(GⅡ)で奴と出会います。

すれ違った牝馬がチラ見するくらいのイケメンであるダイタクヘリオスと初対戦となりました。
結果はお嬢が1着でヘリオスは5着でしたが、このイケメンがお嬢の脳を焼く事になるとは・・・

次戦となる安田記念でGⅠ制覇を成し遂げます。
この時ヘリオスは2着でしたが、お嬢はイケメンのヘリオスに全く興味を示していなかったそうです。

◆悲願の親子三代制覇

安田記念後は2000mの高松宮杯に出走します。
距離適性的にマイルまでで中距離は厳しい見通しでしたが、父トウショウボーイのみならず、母ハギノトップレディ、母母イットー、叔父ハギノカムイオーが優勝していたため出走を決めたそうで、お嬢や関係者にとっては特別なレースだったのです。
母・娘・孫娘による三代同一重賞と偉業に期待が懸かり、当日は1.4倍の1番人気に支持され、中京競馬場には史上2番目となる約4万6000人のファンが集まりました。

「ウェーイwww」
どこの誰だかは言いませんが、とあるイケメンに偉業を阻まれました。
秋初戦のスワンS(GⅡ)ではヘリオスには勝ちましたが、1着をケイエスミラクルに奪われて2着。
続くマイルCSでは出遅れた上にバンブーメモリーとの接触で不利を受けてしまい、ヘリオスが勝ちました(お嬢は2着)

悲願の親子三代制覇とGⅠレース2勝目を阻まれておりますので、ウマ娘でお嬢がヘリオスに対して塩対応なのは仕方が無い気がしますw

◆快速牝馬

この後年末開催のスプリンターズSでお嬢はGⅠレース2勝目を挙げます。
唯一のライバルだったケイエスミラクルが故障したという事もありましたが、上がり3ハロン34.3という当時としてはかなり凄いタイムで、1200mという短距離なのに2着に4馬身差をつけてレコードタイム付きの圧勝でした。
この勝利により史上初めて牡馬と戦うGⅠ競走を2勝した牝馬となり、総獲得賞金は4億円に到達し、牝馬の歴代最高賞金記録を更新します。
この年のJRA賞では、176票中172票を集めて最優秀5歳以上牝馬、151票を集めて最優秀スプリンターを受賞し、年度代表馬選考では12票を集めてトウカイテイオーやメジロマックイーンに次ぐ第3位となりました。

◆お母さんになりたくて

翌1992年、6歳も現役を続行となりましたが、お嬢は発情(フケ)が出ており、母親になりたがっておりました。
闘志を失って顔が「優しい顔になっていた」と伊藤調教師が語っております。
公式でウマシコとかヤバいですね
その様な状態でマイラーズカップ(GⅡ)に出走し、ヘリオスとの再戦となるも6着に敗れます(ヘリオス1着)
その後は京王杯スプリングCで5着、安田記念でヤマニンゼファーに1.6秒離された15着と大敗し引退となります。
繁殖牝馬としては産駒のダイイチシガーが、重賞で2度入着し、メジロドーベルが勝ったオークスでも3着に入着しております。

当時からヘリオスは「ダイイチルビーのお婿さん」と呼ばれておりましたし、史実を知ってるとこの二人の関係性がより楽しめそうな気がします。
凄い実績のウマ娘達の中ではGⅠ2勝という実績は大した事無さそうに見えてしまいそうですが、当時は牡馬相手に2勝したというのが凄い事であり、牝馬の中でも最高額の賞金を稼いだお嬢は間違い無く名馬です。
あと縦巻きロールが私を狂わせます。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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