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【名馬列伝】ウイニングチケット【勝利への切符】

BNWの一角として当時の競馬界を大いに盛り上げたウイニングチケットの紹介記事となります。

◆生い立ち

ウイニングチケットの母であるパワフルレディは競争歴は無いモノの、マルゼンスキー産駒で繁殖牝馬としては大きな期待を背負ってました。
ですが、脚が曲がった子や尻尾の無い子など奇形児ばかり生まれてしまい「パワフルレディは体の柔らかい馬なので馬体が固い馬を種付けしないとダメかもしれない」との事で6度目はトニービンが選ばれ、ウイニングチケットが誕生する事となりました。
チケゾーは胴長の体形や骨格が父トニービンにそっくりで、さらに顔つきは母母父のテスコボーイに似ている上に母父のマルゼンスキーのイイ処を受け継いでいるといった大物3頭の良い点を兼ね備えていたそうです。
そのおかげか生まれて3日目に、牧場を訪れた栗東トレーニングセンター所属の伊藤雄二調教師に見出されて、即日入厩先が決定します。
馬主の太田氏は「当たり馬券」を英語にすると「ウイニングチケット」となるので、そのまんま命名し、奥方に「勝利への切符って訳してくださいw」とツッコまれてそうです。

◆ジュニア期

1992年9月6日、函館競馬場の新馬戦(1200m)に柴田政人騎手が騎乗し、7番人気でデビューし5着に敗れます。
連闘で臨んだ2戦目の新馬戦は、柴田騎手から指摘されて距離延長し芝1700mし初勝利を挙げます。
その後はソエのために約3か月休養し、年末の葉牡丹賞(500万円以下、芝2000m)ではスローペースの中、9頭立て最後方を追走しながらも第3コーナーからまくり、最終コーナーを先頭で通過し4馬身差で2勝目を挙げます。
12月27日のホープフルステークス(OP)では1番人気となり、好位から直線で先頭に立ち3馬身差をつけて3連勝します。

◆クラッシック期前半

休養後の年明け初戦は皐月賞のトライアル競走である弥生賞(GII)でしたが、3.3倍の1番人気に支持されます。
※ラジオたんぱ杯3歳ステークス優勝馬のナリタタイシンが3.5倍の2番人気
伊藤調教師によれば「85点の状態」だったそうですが、スタートから最後方を追走し、第3コーナーで外から進出し最終コーナーを大外6番手で通過、末脚を魅せてすべて差し切っての勝利でした。
2着のナリタタイシンには2馬身差をつけており、走破タイム2分0秒1は、アサカリジェントが前年に樹立した弥生賞レコードを1.4秒更新という結果でした。
ここで強さを示す事が出来た上に、中山競馬場芝2000mで3連勝という事もあり、クラシックの主役として臨む事となります。


皐月賞は単勝オッズ2.0倍の1番人気に支持され、若葉ステークス優勝から臨む6戦4勝2着2回、朝日杯3歳ステークス2着のビワハヤヒデが3.5倍の2番人気となり「二強」を形成。
ナリタタイシンは3番手となります。
スローペースの流れた皐月賞ですが、ナリタタイシンとともに後方を追走するレース運びでした。
向こう正面でタイシンよりも先に位置を上げ、第3コーナーからは中団のハヤヒデと合流しともに進出し、2番手集団に加わり最終コーナーを通過します。
最終直線では暫く二強で横並びでしたがチケゾーが失速し二強の争いを制したハヤヒデが抜け出しましたが・・・

タイシンがぶっ飛んできて見事に差し切ります。
チケゾーは4着で、鞍上の柴田騎手は「道中はジワジワと上昇して早めに好位に取り付いたが、結果的にはこういった競馬は向かなかった。弥生賞のように、直前だけの競馬に徹した方が良かったかな」とコメントしました。

◆悲願の日本ダービー

皐月賞では2強だったのが皐月賞馬となったタイシンを含め3強となります。
チケゾー、ハヤヒデ、タイシンの人気順でしたがその差は殆ど無く、誰が勝ってもおかしくない様相でした。

ウマ娘ではダービー勝利がチケゾーの悲願となっておりますが、史実では主戦騎手の柴田政人氏の悲願でした。
当時岡部幸雄騎手や武豊騎手と並んで現役最強の一角のベテランでしたが、ダービーだけは未勝利でした。
ダービーに賭ける想いは特別で、レース直前の1週間は記者に取材の自粛を申し入れるほどでした。
自粛をせずに自宅に電話してくる記者もいたそうですが、それでも取材やコメントを断り続け当日を迎えます。


5枠10番からスタートして、中団よりやや後方、馬場の最も内側を追走します。
ミドルペースで進む中、向こう正面で逃げ馬がペースアップ、それ以外17頭は第3コーナーに差し掛かってから追い上げを開始します。
タイシン、ハヤヒデなどほとんどは、芝の状態の良い外に進路を求めましたが、チケゾーは内から離れず、

空いた内を突いて抜け出します。

最終直線の坂を上り、チケゾーは、内のハヤヒデ、外のタイシンに迫られますが、口をガーッと開いて、顎を前へ突き出し前へ飛び出しそうなフォームをとり

悲願のダービー制覇を成し遂げます。
レース後の場内では「マサトコール」が発生し、ハヤヒデが本命だったけど馬券は当たったからヨシ!の私もおめでたい気持ちになりました。
柴田騎手は騎手生活27年目の44歳。
これまでダービーは18戦に騎乗しましたが、皐月賞優勝馬ファンタストの体調不良や、ミホシンザンの骨折による回避などで勝利する事が出来ず、ダービージョッキーではないにも関わらず、ダービージョッキーズステークスに騎乗するなどといった多くの辛酸を嘗めておりました。
外国で騎乗した際に現地のマスコミに「ダービーは勝っているのか?」と聞かれるという恥ずかしい思いもしております。

世界のホースマンに、60回のダービーを勝った柴田ですと伝えたい。

この発言はダービージョッキーという栄誉を象徴的に示した名言として語り継がれてます。

◆クラッシック期後半

秋は10月17日、菊花賞のトライアル競走である京都新聞杯(GII)からの始動となります。
後方内側を進み最終コーナーでは進路を失って最後方となってしまいますが、内を突いて進出し残り200mから、外に持ち出して末脚を爆発させ勝利。
続く菊花賞は、2番人気に推されるもハヤヒデに5馬身半差の3着
※タイシンは不調で17着
ジャパンカップも3着でしたが、トウカイテイオーが復活した有馬記念では折り合いを欠いて11着に敗れてしまいます。

◆シニア期

古馬となった1994年は笹針を打って休養し、7月の高松宮杯(中距離GI)からとなりました。
主戦騎手の柴田政人氏が落馬負傷したため、柴田善臣騎手に乗り替わって1番人気で出走するもナイスネイチャに5馬身以上離された5着でした。
秋は武豊に騎手乗り替わり、オールカマー(GⅢ)で始動しハヤヒデに1馬身4分の3差の2着となります。
10月30日の天皇賞(秋)は8着(ハヤヒデ5着)。
このレース中に屈腱炎を発症していた事が判明し、1995年2月5日付でJRAの競走馬登録を抹消し引退となります。
同月、柴田政人氏も騎手を引退しました。

◆種牡馬実績

タイシン産駒よりかは活躍した馬が多かったのですが、GⅠを勝つ様な子は生まれませんでした。
しかし産駒のオイスターチケットという馬はOP戦勝利&GⅢで3着という実績に加え、産駒はGⅠを含む重賞でイイ処まで行った馬を何頭も輩出した名牝でした。
更にオイスターチケットの孫(チケゾーにとってはひ孫)には、重賞を2勝したシャイニングレイと大阪杯を制したレイパパレなどがおります。
BNWの中では最も種牡馬として成功したといえます。

◆チケゾーの愛称

「チケゾー」という愛称はウマ娘のオリジナル・・・ではありません。
当時の担当厩務員だった島氏が名付け親だった事をここに記します。

◆厩舎のボス

ウマ娘のチケゾーはおっぱいがデカい大変立派なお体をしておりますが、リアルの方はどうだったのか?

リアルの方も素晴らしい体つきで、そのため厩舎ではボス馬に祭り上げられました。
ボス馬になるのは気性の荒い馬やプライドの高い馬がなる事が多いのですが、おっとりとした性格のチケゾーがボスになれたのはこの馬体のおかげだといわれてます。
余りにも凄い体つきだと周りの馬がビビったり、尊敬されたりしてボス馬に祭り上げられる事があるそうです。
他の馬を気に掛ける優しさを持ち、人間に怒られるとめちゃくちゃ凹むという話を聞いてからより一層チケゾーに愛着が湧きました。
2022年現在32歳になってもまだまだ元気なチケゾーにはギネスを更新するほど長生きして欲しいと思う私です。
いつまでもお元気で!
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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