【名馬列伝】カワカミプリンセス【姫】
豪快にして剛腕
屈強なる姫
今回は姫(自称)のカワカミさんの紹介記事となります。
◆三石川上牧場について
カワカミさんが誕生した三石川上牧場についてですが、北海道日高地方三石町川上地区にある競走馬生産牧場で1988年に20歳の上山浩司氏が、川上地区に広がる農業を止めて耕作放棄地となっていた土地を買い取って敷地を確保し、繁殖牝馬3頭で生産を開始しました。
三石川上牧場の立地はお世辞にも良いとは言えず、海が遠くて山がちであり、夏は暑く、冬は寒く、鹿が放牧地に頻繁に出る厳しい環境でした。
そのうえ馬主や調教師が気軽に訪れる事ができず、彼らと幼駒が結び付く機会に乏しかったそうです。
◆生い立ち
2003年6月5日、タカノセクレタリーの3番仔として誕生します。
当時の日高地方の生産馬、それも牝馬は、良い価格で売る事が非常に困難だったのですが、名牝と呼ばれる牝馬を抱えていた訳では無い三石川上牧場の馬に高値を付けるのは厳しかったと思います。
上山氏は牧場の生産馬は自らで抱えず、すべて売却してお金に変換するのが理想と考えており、250万という破格で売りに出すも売れず牧場名義で所有する事になりました。
この時から上山氏は自ら生産した牝馬を、出来る限り自己所有しようと決意したそうです。
誰かに譲らず、未来の牧場の繁殖牝馬にするために・・・
馬名は冠名「カワカミ」に「お姫様」を組み合わせた「カワカミプリンセス」という競走馬名が与えられます。
◆クラッシックまでの道のり
2005年、2歳秋に西浦厩舎に入厩しますが、後ろ脚が未熟だったため2歳の内にデビューする事が出来ませんでした。
年をまたいで2006年2月26日、阪神競馬場の新馬戦(芝1400m)でデビューとなります。
カワカミさんは単勝オッズ33.0倍の9番人気と大変不人気でしたが、後続に7馬身差をつけて圧勝します。
続く条件戦も6番人気でしたが、逃げて勝った前走とは異なり、差す競馬で見事勝利を飾ります。
この頃から関係者の間ではクラッシックを意識しだしたそうですが、桜花賞に登録をするも賞金が足りずに発走除外となってしまいます。
仕方なくオークストライアルのスイートピーS(OP)に出走しますが、18頭立ての中初の1番人気に支持され、前走同様豪快な末脚を発揮して勝利します。
◆優駿牝馬
牝馬三冠競走の二冠目である優駿牝馬(オークス)に無敗での参戦となります。
桜花賞の上位4頭も参戦してきますが、カワカミさんは3番人気に推されます。
レースはヤマニンファビュルが大逃げを敢行、それ以外は一団、アサヒライジングを先頭とする縦長馬群が形成されます。
カワカミさんは第1コーナーで我を忘れかけますが、本田騎手が宥めて折り合うことに成功し、フサイチパンドラと並ぶ中団前目を追走します。
大逃げがいたため各々早めに仕掛ける競馬を強いられますが残り400mからスパートし、アサヒライジングを外から差し切り、伸びあぐねるフサイチパンドラを出し抜きます。
後方から追い込むアドマイヤキッス、キストゥヘヴンを寄せ付けず後続に4分の3馬身差をつけて先頭で決勝線通過を果たします。
無敗の4連勝、重賞及びGⅠ初勝利、そしてクラシック戴冠を成し遂げたカワカミさんですが、1943年クリフジ、1946年ミツマサ、1957年ミスオンワードに続いて史上4頭目、49年ぶりとなる無敗の優駿牝馬優勝でした。
この内クリフジや、ミツマサは、日本中央競馬会(NCK→JRA)発足以前であり、制度や施行時期が今とは異なっていたため、発足し制度などが整備された1954年以降としては史上2例目となります。
更に2月末のデビューから85日で戴冠、1982年シャダイアイバーの78日に次いで史上2番目の早さであり、馬体重は484キログラムでの戴冠は、1975年の牝馬クラシック二冠馬テスコガビーの486キログラムに次いで史上2番目の馬体重となります。
また走破タイム2分26秒1は、1990年エイシンサニーのレースレコードに0.1秒差なのですが、1990年とはコース形態が違うため、新しいレースレコードと言っても差しつかない記録でした。
◆秋華賞
記録ずくめの優駿牝馬優勝後は高昭牧場で夏休みし、軽種馬育成調教センターを用いて調整されます。
秋の最大目標は、一線級の古牝馬と対するエリザベス女王杯だったため、前哨戦を用いず秋華賞直行となります。
10月15日、秋華賞では無敗の身でありながら3.6倍の2番人気でした。
1番人気は2.6倍のアドマイヤキッスで、優駿牝馬4着の後ローズSを制しており、3番人気以下は、キストゥヘヴン、フサイチパンドラ、アメリカ帰りのアサヒライジングとなります。
6枠12番からスタートし、中団を確保します。
レースはハイペースで対抗馬のアドマイヤキッス、キストゥヘヴンよりも前を得てました。
ハイペースではありましたが本田騎手は早めに仕掛けて、第3コーナーからムチを入れるなど促し始めます。
ですが最終コーナーでは、内にいたサンドリオンにぶつけられてバランスを崩し大きく外に膨れる不利を受けてしまいます。
逃げるシェルズレイとアサヒライジング、先行して抜け出しを図るフサイチパンドラを外から追いかける状況になりますが、カワカミさんは直線半ばを過ぎてから加速し、フサイチパンドラを躱しアドマイヤキッスを置き去りにしますが、抜け出すアサヒライジングとは残り200mで3馬身ほどありました。
しかしゴール手前で末脚を発揮し、ゴール手前で差し切ります。
無敗の5連勝で、2002年のファインモーション以来史上2例目となる無敗の秋華賞優勝、かつ史上初めて無敗で優駿牝馬と秋華賞を制した「牝馬二冠」にもなりました。
◆エリザベス女王杯
続いて11月12日エリザベス女王杯では、アドマイヤキッス、キストゥヘヴン、アサヒライジング、シェルズレイ、フサイチパンドラなどクラシックを戦った同期に加え、前年優勝で宝塚記念優勝馬でもあるスイープトウショウも参戦します。
そんな中、注目を集めたのはカワカミさんとスイープトウショウの2頭で、カワカミさんがGⅠで初の1番人気となります。
当日の馬場状態は稍重から良に回復してましたが、芝は水分を多分に含んでおりました。
8枠16番からスタートし、中団後方を確保。
前ではシェルズレイが果敢に逃げており、ハイペースで追走する事になりました。
秋華賞のように第3コーナーから進出し、先行勢との距離を縮めながら最終コーナーを通過します。
馬場の状態が悪い事から進出には手間取りますが、直線入り口で本田騎手がムチを振るうと加速し、隣にいたヤマニンシュクルやシェルズレイの前に取り入り、2頭を置き去りにします。
更に、前で先頭を争うディアデラノビアやアサヒライジング、フサイチパンドラに取り付きそれも躱し、大外から追い込むスイープトウショウを寄せ付けつけずに先頭で決勝線を通過しデビュー以来6戦連続となる1位入線を・・・
果たしたかに見えましたが、着順が確定せず、審議となります。
入線から15分後、以下の様に確定します。
【降着】カワカミプリンセス号は1位(タイム2分11秒4、2位との着差1馬身)に入線したが、最後の直線コースで急に内側に斜行して「ヤマニンシュクル」号の走行を妨害したため12着に降着。
【制裁】カワカミプリンセス号の騎手本田優は、最後の直線コースで急に内側に斜行したことについて平成18年11月18日から平成18年11月26日まで騎乗停止。
カワカミさんは、日本のGⅠ競走において1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来15年ぶり史上2頭目となる1位入線後の降着に処されます。
直線の残り300mにて左側、コースの外側からムチが入れられたカワカミさんは、内側に斜行してシェルズレイとヤマニンシュクルの前方を得て進出しますが斜行の際に、シェルズレイとヤマニンシュクルの顔面と接触してました。
ヤマニンシュクルを挫かせた他、そのあおりを受けてシェルズレイ、そしてレクレドールの進路も塞いでしまっていたとの事で、競馬場には抗議の電話が70件もあったそうです。
斜行による接触でカワカミさんは、右後ろ肢の飛節に外傷を受けたため年内休養となり、高昭牧場に放牧に出されます。
この年のJRA賞では、全289票中287票を集めて最優秀3歳牝馬を、177票を集めて最優秀父内国産馬を受賞しました。
◆骨折
年またぎの放牧中も休むことなく運動し、体重を減らした状態で3月1日に帰厩します。
古牝馬のGⅠ級競走であるヴィクトリアマイルに向け、厩舎では体重を増やしながら仕上げるという常道ではない調整を敢行しますが、西浦調教師が完璧と評するほどの状態に仕上がります。
ここまで対戦した96頭すべてに先着していたカワカミさんは、スイープトウショウ、アドマイヤキッス、ディアデラノビアなどを差し置く1番人気でしたが10着と大敗してしまいます。
スタートから出遅れて後方を追走、直線では進路がなく、思う様に力が発揮出来なかったためでした。
続いて宝塚記念ではこの年の東京優駿を優勝した牝馬ウオッカとの対決となり、ウオッカが1番人気となる中、カワカミさんは信頼得られず6番人気の6着でした。
この後は、9月初めの札幌記念(GⅡ)を目指して札幌競馬場で調整されてましたが、調教中に右第1趾節種子骨を骨折し全治1年の休養を強いられます。
◆2度目のエリ女
休養中に年をまたぎ2008年、4月2日に厩舎に帰厩し5月31日の金鯱賞(GⅡ)で復帰し3着に入選しますが、前年と同様に宝塚記念を目指すも直前で腰から右後肢にかけての筋肉痛を発症して回避となります。
厩舎に戻って養生してから、10月19日の府中牝馬ステークス(GⅢ)で復帰するも半馬身差での2着でした。
復調の兆しが見え11月16日のエリザベス女王杯では1.9倍の1番人気に支持されますが、追い込みを信条とするはずのリトルアマポーラが、クリストフ・ルメール騎手に導かれて先行し、一足先に抜け出す展開となりました。
道中をスムーズにこなし、末脚を使って伸びていたカワカミさんでしたが「ハーツクライでディープインパクトを破った有馬記念を髣髴とさせるファインプレー」と称されたリトルアマポーラの完璧な走りの前に1馬身半届かずの2着に終わりました。
暮れには有馬記念に出走し1枠1番を得たため果敢に先行しますが、ハナをダイワスカーレットに奪われて2番手に甘んじ、終いに失速した7着でした。
◆12連敗
2009年、6歳は京都記念(GⅡ)から始動しますが4着。
産経大阪杯(GⅡ)も牡馬相手に好走しますが3着。
ヴィクトリアマイルでは2番人気に推されるも、ウオッカの独壇場で8着。
流石に勝てると思われた秋に出走した府中牝馬S(GⅢ)では6着でした。
最後のレースとなった3度目のエリ女でも9着で、上山氏は成熟して既に母親の体つきになっていると思い「もうお母さんになりたいんだな」と感じ取り引退を決意します。
◆カワカミさんの功績
三石川上牧場の名を挙げ、馬主歴の浅かった上山氏にGⅠを獲らせたという功績だけでもデカイのですが、
父キングヘイローの初年度産駒としてGⅠ制覇を成し遂げたという点は非常に大きかったと思います。
カワカミさんの活躍が無かったらキングの種付け頭数は確実に減ってたはずでした。
ウマ娘ではカワカミさんがキングに憧れてるという設定ですが、キングちゃんはもっと娘を可愛がってもいいと思いますw
◆荒くれ者?
ウマ娘では粗暴・・・いや、お転婆娘として描かれてますがリアルの方でもかなりのモノだったそうです。
厩舎の"洗い場"で後ずさりして後ろ脚で蹴り上げ、後方の板が蹄型にへこんだという事がありました。
関係者からも「前世が恐竜じゃないか、と思わせるほどキツい気性。とにかく我が強かった」という証言があり、ウマ娘の設定が原作準拠という事が裏付けられます。
ウマ娘では姫に憧れる庶民として可愛く描かれてますが、元の競走馬も結構人気がありました。
2010年にインターネット投票で人気の過去の優駿牝馬優勝馬の名前を、JRAプレミアムレースの副名称に使用する催しがありまして、その投票で全体の24%である5061票を集めて1位になります。
ちなみに1996年優勝馬のエアグルーヴが19%、2005年優勝馬のシーザリオが15%でした。
このため同年5月23日、優駿牝馬の直後のレースである第12競走は「東京クラウンプレミアム(カワカミプリンセスメモリアル)」という競走名で施行されました。
ウマ娘に登場する子達の中では牝馬限定のGⅠしか勝っていないため、比較的控えめな実績のカワカミさんですが、その人気と功績は他の子と比べても遜色の無い素晴らしいモノだったという事を多くの方に伝えたい処です。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ