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【名馬列伝】メジロパーマー【メジロの異端】

マックイーン、ライアンと共に花の62年組(昭和62年生まれ)と呼ばれたメジロパーマーの紹介記事となります。

◆生い立ち

1987年3月21日、北海道伊達市のメジロ牧場にて誕生し「輝峰」という幼名が与えられます。
仔馬の頃はひょうきんで軽い性格だったそうですが、怪我や病気もしなかったせいか関係者の間では特に印象に残ってはいなかったとの事です。
馬名は冠名のメジロに、アメリカのプロゴルファーであるアーノルド・パーマーのパーマーを取ってメジロパーマーを名付けられました。

◆デビュー

新馬戦で2連続2着の後に未勝利戦を勝利し、続くコスモス賞(OP)も勝利しますが、その後の萩S(OP)と京都3歳S(OP)では惨敗してしまいます。
8月デビューでジュニア期に6戦と結構ハードなローテーションが祟ったせいか骨折し、長期休養に入ります。
クラッシック期は6月からの始動で、条件戦とOP戦で4連敗した後に初の重賞となる函館記念(GⅢ)に挑戦する事になります。
実はこれまでのレースは大体先行策だったのですが、このレースで逃げ戦法を獲り手応えを感じた・・・
のですが、レースは惨敗で2度目の骨折に見舞われます。

◆苦戦続き

年が明けて3月の条件戦で12着と大敗しますが、距離が1200mだったので仕方無かったと思います。
次戦では2400mで3着、大阪城S(2400mのOP)を4着と徐々に調子を上げ、何と春の天皇賞に挑戦します。
このレースで期待されていたのは同期のマックイーンとライアンで、結果も13着と力の違いを見せつけられてしまいます。
この敗北により格が下がり、条件戦も500万下クラスに出走する羽目となります。
この頃「もう平地のレースは厳しそうだから障害でも走らせるか?」という事で障害の練習をさせられていたパーマーですが、もう少し様子を見ようと500万下の条件戦に出走します。
関係者からの期待は薄かったのですが、500万下のレースを2着→1着と好走すると、格上挑戦となった札幌記念(GⅢ)では先行策だったにも関わらず見事勝利します。
晴れてOP馬となったパーマーでしたが、その後3連敗し結局障害レースを走らされる事になります。
障害デビューしたパーマーは勝利を収めますが、2戦目では飛越に失敗して負傷しての2着で「このまま障害で使ってたら取り返しのつかない大怪我をしそうだ」という事で、再び平地に舞い戻ります。

◆まさかの勝利

年が明けて春のコーラルS(OP)で4着だった後、格上挑戦で春の天皇賞に再び挑戦します。
ここはマックちゃんが連覇を飾り、パーマーは7着でしたが、その後の新潟大賞典(GⅢ)で勝利を上げ宝塚記念へと駒を進めます。

このレースは馬鹿逃げの相方(笑)を抑えてハナを獲り、

見事GⅠ制覇を成し遂げるのですが・・・

アニメ(2期)6話で「やったよトレーナー! トレーナー!?」とパーマーがトレーナーを探すシーンがありました。
このレースにはマックイーンも参戦予定で、メジロ牧場からは応援団を阪神競馬場に派遣する事にしてホテルや飛行機を予約していたのですが、出走1週間前の調教中にマックイーンの骨折が判明し宝塚記念を回避する事になります。
パーマーの出走は予定通りでしたが「パーマーが勝てる訳無い。今年の宝塚は終わった」と諦めて、応援団の派遣を止めて予約も全てキャンセルする事になりました。
当日の阪神競馬場にはメジロ勢は1人、メジロ商事社長の北野俊雄氏しかいなかったそうです。
しかも俊雄氏は、レースが終わり次第帰ることができるよう場外に車を待たせた状態での応援でした。

それなのにパーマーは9番人気で優勝、直後に俊雄氏は泣いてしまったそうです^^;
牧場とオーナーの関係者を多く欠いた表彰式は、GⅠ優勝にも関わらず収まる人数が少ない寂しい記念写真撮影となってしまったのです。

休養後、10月の京都大賞典(GⅡ)では楽に逃げられず9着と惨敗し、続く秋の天皇賞ではヘリオスと激しい先頭争いをしたのが災いして17着と大敗してしまいます。
次走予定されていたジャパンカップはこの大敗により回避する事になり、年末の有馬記念に照準を合わせます。

ジャパンカップで復活したトウカイテイオーにブルボンの三冠を阻んだライスなどがいる中、パーマーは15番人気です。
見事な大逃げをぶちかまし、それでも「そろそろバテるかな?バテるよな?」と思って観戦していた私でしたが4コーナーに差し掛かる頃には「バテてくれぇ!!」と悲痛な叫びに変わっておりました。

メジロパーマーグランプリ連覇
当時メジロといえばライアンかマックイーンが人気でしたが、この時ライアンは引退済でマックイーンは2戦しか走っておりません。
この年にメジロの中で最も活躍したのがパーマーだったのですが、ファンも関係者もみんなビックリです。

◆春の天皇賞

グランプリホースとなったパーマーでしたが「血統が地味」という事で種牡馬入りせずに現役続行となります。
年明け初戦の阪神大賞典(GⅡ)では大逃げからの粘り込みで勝利をあげ、3度目となる春の天皇賞に出走します。

結果は皆さんご存じの通りライスが勝利するのですが、ハイペースで逃げてあそこまで粘ったパーマーは本当に凄くて、例年であれば勝っていたかもしれません。
何と言うか、相手が悪過ぎました。

その後はご覧の通りずっと勝てなかったのですが、1400mのスワンSを走ったのは流石にどうかと思いますw
最後のレースとなった日経新春杯(GⅡ)ではトップハンデの60.5kgがきつすぎたという話ですが、その後屈腱炎が発症し引退となります。

◆史上初の快挙

パーマーが成し遂げた史上初の快挙の快挙とか?
ライアンとマックと共に宝塚記念をメジロ軍団で3連覇した事かな?と思いましたねw??
それもですが、パーマー単体で成し遂げた快挙があるのです。

「障害帰り」でGⅠ優勝
これです。
障害レースに出走させ、平地に再転向する行為を「障害帰り」と呼ぶのですが、障害帰りは関係者から蔑まれる対象だそうです。
大久保調教師は「宝塚や有馬を勝ったときには『障害を走っていた馬が勝った』なんてずいぶん言われたが、何も障害を走らせたくて走らせたんじゃない」を語っておられます。
キャリア2戦の障害への転向は一見無駄に見えるかもしれませんが、これにより掛かり癖が少しは緩和されたそうで、意味はあったとの事です。
まぁ障害レースを走ってた馬が半年後にGⅠを勝って、更に有馬記念まで勝つとか誰も思いませんよねw

◆ウマ娘での再現度

前傾姿勢で走る子が多い中、実馬の特徴である首を高くして走るフォームが再現されていたのはとても嬉しく感じました。
しかし、まさかギャル化するとは思っておらず非常に驚かされました。
大逃げという脚質には派手さを感じますが、他の大逃げ馬と違ってパーマーからは泥臭さの様なモノを感じておりました。
その理由はハードなローテーションと故障の多さ、更に障害レースに転向と苦労の絶えない馬だったからなのですが、ウマ娘ではそれを感じさせない明るさというか、ヘリオスとの関係が素晴らしく尊みに溢れてて凄く凄い良かったです(NTR感)
種牡馬としては成功を収める事が出来ませんでしたが、いつまでも記憶に残る名馬です。
絶対に逃げ潰れると思ってた有馬記念の絶望感は今でも忘れませんw
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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