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【名馬列伝】タイキシャトル【最強マイラー】

「最強マイラーは言い過ぎでは?」とか言わないで下さいねw

JRAのCMで「大雨のなかの無敵、タイキシャトル」と言われてるので「重馬場が得意」というイメージが定着してる気がするのですが、実際重馬場で勝ったレースは2回だけです。
この馬が如何に凄かったのかを世に伝えたいと思います。

・生い立ち

1994年3月23日、アメリカ合衆国タイキファームで生まれます。
1995年初頭にアイルランドへ移送され調教→日本の藤沢和雄厩舎でデビューする事が決定し、1996年7月に北海道・大樹ファームへ移送されます。
1996年中に入厩する予定でしたが脚部不安や蹄の化膿により予定が遅れてしまい、翌1997年2月5日までズレ込んでしまいました。
入厩後も脚部に不安があった上にゲート試験を二度失敗し、デビューが遅れてしまいます。

・クラッシック期前半

クラッシック期と言ってもデビューした年ですし、外国産馬なのでクラッシック三冠には出場出来ません。
デビュー戦はダートの1600mだったのですが、脚部に不安のあるタイキシャトルを気遣っての事でした。
結果は4馬身差の圧勝で、続く500万下の条件戦もダートで快勝します。
この頃から脚部の不安が大分良くなってきた事もあり、芝のレースに切り替わります。
菖蒲ステークス(OP戦)は後の重賞馬達相手に勝利しますが、次戦の菩提樹ステークス(OP)で初の敗北を喫します。
この敗北は斤量のハンデもありましたが、ノーマークの馬に逃げ切られてしまったので仕方無いと藤沢調教師がコメントしております。

・クラッシック期

3か月の休養後は初の重賞となるユニコーンステークス(GⅢ)です。
「ここでまたダート?」と疑問に思った方も多かったそうですが、藤沢調教師曰く「とにかくマイルのレースを走らせたかった」との事です。
ここを問題無く快勝し重賞初制覇
次戦のスワンステークス(GⅡ)も初の古馬との対戦でしたが、やや苦しみながらも勝利します。
ここまで6戦5勝
いよいよ初のG1挑戦です。
6頭のG1馬が出場してきたマイルチャンピオンシップに駒を進めたタイキシャトルです。
ウマ娘でお馴染みの馬ですと、ヒシアケボノとサイレンススズカも出走してました。
で、結果は・・・

ハイペースで逃げた桜花賞馬のキョウエイマーチがしぶとく粘りますが、タイキシャトルが力強く差してG1初制覇です。
ボーノと本格化する前のスズカさんは圧敗でした。
この時騎乗していた横山典弘騎手はタイキシャトルのあまりの強さに驚嘆し「岡部さん、反則ですよ。こんな強い馬に乗ってたなんて」と憎まれ口を叩いたそうですw
ちなみにマイルチャンピオンシップを4歳馬(今の3歳馬)が勝利をしたのは、1988年のサッカーボーイ以来9年ぶりでした。
次戦のスプリンターズステークスでは横山騎手から岡部騎手に戻りますが、難なく勝利しG1を連勝します。
同一年にマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスの2つの秋短距離G1を勝ったのはタイキシャトルが初だった為、年度代表馬の候補に挙がりますが、そこはエアグルーヴに持ってかれてしまいます。
※JRA賞最優秀短距離馬は獲得

・シニア期前半

海外遠征を見据えて安田記念出走を予定してたのですが、放牧先が寒過ぎて蹄に亀裂が入ってしまいます。
かなりヤバい状態でしたが、凄腕の装蹄師(志賀勝雄さん)のゴッドハンドにより回復します。
取り合えず安田記念の前哨戦である京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走し、馬なりでレコードタイムを叩き出して勝利します。
これには藤沢調教師もニッコリです^^
単勝1.3倍の圧倒的な1番人気となった安田記念は初の重馬場を経験します。
重馬場というか沼みたいな不良馬場でした。
「初めての重馬場・・・しかも沼みたいになってるけど大丈夫なのか?」

大雨のなかの無敵、タイキシャトル!
雨で荒れ狂った馬場を嫌って各馬が内外に広がる中、ど真ん中をぶち抜いて豪快に勝利するタイキシャトル
「イケる・・・これはイケるぞぉ!」
タイキシャトルのフランス遠征が決定しました。

・おフランス遠征

目指すはフランスのマイルG1の最高峰であるジャック・ル・マロワ賞(ドーヴィル競馬場、芝直線1600m)です。
フランスではトニー・クラウト厩舎に入厩したのですが、クラウト厩舎ではタイキシャトルが万全の状態で調整ができる様に、日陰で目の前の馬の往来が比較的少ない馬房を使用させてくれて、偉業達成の為に協力を惜しまなかったそうです(有難う御座います)
ちなみにジャック・ル・マロワ賞の1週間前に行われたモーリス・ド・ゲスト賞でシーキングザパールが日本調教馬として初の海外GI制覇を成し遂げたてました。
その際シーキングザパールの調教師だった森秀行氏が「来週出走するタイキシャトルはもっと強いですよ」と発言した事もあり、タイキシャトルはこのレースでも単勝1.3倍という圧倒的な1番人気に支持される事となります。
このオッズを見た藤沢氏は「まるで日本のレースに出たときのオッズだなw」と苦笑するしかなかったそうです。

馬場状態は重馬場です。

レース序盤によそ見をしながら走ってるタイキシャトル
「大丈夫なのか?」と当時の私はハラハラしながら観てましたが、

勝ちましたw
シーキングザパール、タイキシャトルと日本調教馬が2週続けてフランスのG1を勝った事はヨーロッパの競馬関係者に大きな衝撃を与えました。
日本の競馬関係者もファンも大歓喜です。
本場のG1初制覇という事で、レジェンドジョッキーの岡部氏も表彰式で涙を流します。

・引退レース

引退レースはマイルチャンピオンシップです。
5馬身差を付け見事連覇します。
おめでとうタイキシャトル
ありがとうタイキシャトル
お疲れ様タイキシャトル
っとなる予定でしたが、JRAからの要望によりスプリンターズステークスに出走する事となります。
結果は僅差の3着。
敗因は「ヤル気が無かった」です。
実は少し前からヤル気を無くしていて、勝ったマイルチャンピオンシップの頃から調教にも身が入って無く、馬体も太かったそうです。
耳を絞って反抗の意を見せるくらいにレースを嫌がっていたみたいで「もう引退させてくれ!」と言わんばかりだったと藤沢氏が語ってます。

・タイキシャトルの評価

デビュー年にJRA賞最優秀短距離馬を獲得してますが、翌年は最優秀短距離馬&最優秀5歳以上牡馬&年度代表馬と三冠達成です。
短距離専門の馬が年度代表馬となったのはこの馬が初めてです。
更にフランスの年度代表馬顕彰(エルメス賞)において最優秀古馬にも選出されました。
翌年の1999年には現役時代の活躍が評価をされて、短距離馬として初のJRA顕彰馬(殿堂入り)として選定され、日本競馬史における歴史的名馬の地位を確固たるものにします。
1997年ユニコーンステークスから1998年マイルチャンピオンシップまで記録した重賞8連勝の記録はテイエムオペラオーと並ぶJRA所属馬の記録であり、2019年春にnetkeiba.comによって行われた「競馬ファンが選ぶ『平成最強マイラー』ランキング」では総数27000票に及ぶ投票の中、7819票を獲得し第1位に選出されました。
2位モーリス(5710票)、3位ウオッカ(2930票)に大差をつけた結果から、現役を引退して20年以上が経過しても「平成」という時代の中でタイキシャトルが最強マイラーである事を多くのファンが認めてます。
13戦11勝でマイルは7戦全勝と、最強マイラーと呼ぶに相応しい戦績でした。

・距離適性について

藤沢調教師曰く「マイルがベストだと思うけど2000mまでなら余裕。今なら秋の天皇賞を目標にしてたけど、当時は外国産馬という事で出走資格が無かったから出れなかった」との事です。
更に「有馬記念が東京の2400mなら使いますよ。シャトルは頭がいいから、中山の2500mだと一周目でゴールと勘違いしてしまう」と発言しております。
これは有馬記念のスタート地点が1200mのレースのスタート地点と似た場所に設定されていた為です。
ウマ娘だと中距離適性EでギリAとかSまでは持ってける感じですが、生まれる時代が違ってたら短距離〜中距離まで全部適性Aだったかもしれませんね^^;

・種牡馬実績

ウインクリューガー(NHKマイルカップ)
メイショウボーラー(フェブラリーステークス)
サマーウインド(JBCスプリント)
辺りが主な産駒です。
有名馬は少ない印象ですが、毎年堅実に勝つ子を輩出し続け2017年まで種牡馬として活躍しました。
母の父としては、
ストレイトガール(ヴィクトリアマイル2回、スプリンターズステークス)
ワンアンドオンリー(日本ダービー)
レーヌミノル(桜花賞)
が有名処です。
種牡馬を引退した後はメイショウドトウと一緒に北海道日高町のヴェルサイユファームにお引越しとなりました。

如何でしたでしょうか?
「短距離やマイルで強かったお馬さん」くらいのイメージしかなかった方も結構いらっしゃったのでは無いでしょうか。
ウマ娘に出演している競走馬は名馬中の名馬ばかりですが、その中でもトップクラスの実績を誇るのがタイキシャトルです。
実は私も最近まで頭が良かった事や、最後の方は走る気を失ってた事までは存じませんでした。
距離適性も敏腕で有名な藤沢調教師がおっしゃるのだから2400mでも全然イケたんだと思います。
そう考えるとトンデモない馬ですよね^^;
令和になってからタイキシャトルよりも凄そうなマイルで実績のある馬が登場している訳ですが、そもそも年代がかなり異なりますので比較の対象になりません。
当時最強過ぎたマルゼンスキーですら20年後の世代と勝負したら普通のOP馬にも負けそうです。
そこが競馬を語る難しさであり、面白さでもあると思ってます。
私は前後4年くらいで比較しますが、それ以上離れてしまうと「あの年代は〇〇が強かったね」と別個に分けて語る様にしてます。

ちょっと話が横道に反れましたが、タイキシャトルが凄い実績とポテンシャルを秘めていた競走馬だった事を知って頂けましたら幸いです。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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