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【名馬列伝】エルコンドルパサー【怪鳥】

「最強世代の真の最強はエルコンドルパサーだ!」
そうおっしゃる方も多いくらいの凄い競走馬だったエルコンドルパサーの紹介記事となります。

◆凄い配合

生産者であり馬主の渡邊隆氏は本業の東江運輸を興した父・喜八郎氏から親子2代の馬主であり、元より血統に造詣が深かったそうです。
イギリスのタタソールズセリのせり名簿に載っていた、ソングの曾孫にしてサドラーズウェルズの産駒で、母の父にシアトルスルー「ソングの3×4」というクロスを有する牝馬・サドラーズギャルに目を付け、これを苦労の末購入します。
手持ちの別の種牡馬株とキングマンボの株を交換し、サドラーズギャルにキングマンボを交配させるのですが、後に渡邊氏は「アマチュアでありながらまんざら素人でもないからこそできた」と語ります
渡邊氏はこの様な配合をした理由について「ヨーロッパで種牡馬にしたかったから」とし「そのためにはヨーロッパの二千メートルのGIに勝ちたい」との事でした。
エルコンドルパサーの配合を編み出した渡邊氏はアメリカの競馬誌『デイリーレーシングフォーム』において「比類なき配合によって、エルコンドルパサーは非常に重要な種牡馬となるだろう」と高い評価を受けます。

◆生い立ち

1995年3月17日、サドラーズギャルはレーンズエンドファーム・オークツリー分場で牡馬、後のエルコンドルパサーを出産。
生後4カ月の頃、競り市参加のためケンタッキーを訪れていた二ノ宮敬宇調教師の検分を受けた際「ごろっとした四角い馬」というモノで、渡邊氏への報告も「普通の馬」というのみでした。
翌1996年1月に日本へ輸送され、北海道門別町のファンタストクラブ内にある木村牧場で育成調教を開始します。
以後は至極順調に過ごし、競走年齢の3歳に達した1997年8月末、茨城県・美浦トレーニングセンターの二ノ宮厩舎へ入厩。
トレセンでも怪我や病気は一切なく、装蹄を嫌がるという以外には気性も落ち着いてましたが、この段階に至っても厩舎スタッフによる評価は「少しは走るか」という程度でした。

◆デビュー〜

デビュー戦は11月8日の東京開催で迎えます。
まだ身体が出来上がっておらず、芝コースでスピード勝負をさせるのは時期尚早という判断からダートの1600メートル戦に出走しました。
スタートで出遅れて最後方からのレース運びとなりましたが、後の重賞馬に7馬身差をつけ圧勝。
上がり3ハロンでは驚異的なタイムを出し、二ノ宮調教師は「この馬はもしかたら凄く強いかもしれない」と初めて思ったそうです。
続く条件戦もダートでしたが9馬身差をつけ圧勝。
3戦目となる共同通信杯は初の芝コースに挑戦・・・となるはずでしたが、雪の影響でダートコースとなります。
このレースも2馬身差で快勝します。

◆初の芝コース

ニュージーランドトロフィーでは初の芝のレースへの出走で、しかも距離が短くなる事が不安視されました。
それでも1番人気に推され、スタートは良く無かったモノのすぐに好位に取り付け快勝します。

初のG1挑戦はNHKマイルカップです。
※外国産馬の為クラッシック三冠には出場不可
このレースはエルの他に3頭の無敗馬がいましたが、これら相手に難なく勝利します。

◆伝説の毎日王冠

当初の予定ではマイルCSが目標でしたが、年度代表馬を意識してジャパンカップに目標変更されます。
翌年の遠征も見据えて前哨戦として選ばれたのが、GII競走ながら13万人を越える観衆が詰めかけたあの伝説の毎日王冠です。
当時無敗の天才ホースであるグラスワンダーに加え、

超絶ノリに乗っていたサイレンススズカと対戦する事になります。

無理、スズカさん強すぎるw
まだ本格化する前のエルではスズカさんには勝てませんでした。

ですが、その後のジャパンカップではエアグルーヴやスペを抑えて勝利します。
距離の不安がありましたが、全く問題無く実力の差を見せつけました。
7戦6勝でセイウンスカイを抑えて最優秀4歳牡馬に選出されますが、年度代表馬は海外で活躍したタイキシャトルに奪われてしまいます。
ちなみに有馬記念に出走しなかった理由は「日本では有馬記念が一番馬券が売れるが、世界的に見ればジャパンカップが日本で一番のレースという評価だから」だそうです。
ジャパンカップに勝利し、スズカさんも返らぬ人(馬?)となったエルにとって国内には敵はいないという事でしょう。

◆海外遠征

「凱旋門賞はポンといって勝てる様なレースではない」という判断から、フランスに長期滞在する方針が取られます。
海外遠征初戦は5月のイスパーン賞です。
地元馬を抑えて1番人気になりますが、久々のレースだったせいか2着に終わります。
次戦となるサンクルー大賞はG1レースで「近年最高の面子が揃った」と言われる程ハイレベルなメンバーと対戦する事となりました。
芝丈が長く起伏に富んだサンクルー競馬場のコースに加え、スタミナ面の不安もありましたが、何よりも61kgという日本ではまず背負う事の無い斤量を背負う事になり、陣営も強い不安を感じていたそうです。

エルコンドルパサー海外G1初制覇!
関係者が「遠征の成否を分ける剣が峰だった」と語った様に、このレースで惨敗する様だったら凱旋門賞の挑戦も無かったかもしれません。

◆フォワ賞

サンクルー大賞の後、エルは右後脚に異常をきたします。
レース中に二つの外傷を負っており、その傷口に菌が入り炎症を起こすフレグモーネの症状が発症し、屈腱炎に似た症状にまで悪化してしまいます。
このため7月下旬に再開される予定だった本格的な調教は、8月にずれ込みます。
9月12日に行われたフォワ賞(GⅡ)はエルの強さが警戒されてか、3頭立てのレースとなります。

ここも1.3倍の1番人気に応え、見事勝利します。
凱旋門賞に向けて期待の高まる1戦でした。

◆凱旋門賞

海外遠征の最大目標であり、引退レースでもある凱旋門賞は、当時最強との呼び声が高かったモンジューに次ぐ2番人気でした。

スタートが切られると、エルは最内枠から飛び出すように先頭に立ちます。
モンジュー陣営が用意していたペースメーカー・ジンギスカンが戦前の予想に反して逃げず、蛯名騎手は「前走も先頭から競馬をしたし、この馬のペースを守って馬と喧嘩しないよう流れに乗ろうと」そのまま先頭でレースを進めます。
モンジューは6番手前後で、エルは後続に2馬身ほどの差をつけたまま最後の直線に入り、その差を広げていきます。
残り400メートルあたりから外に持ちだしたモンジューが急追し、残り100メートルほどで並ばれてしまいます。
いったん前に出られたあとエルはモンジューを差し返しにいったモノの、半馬身およばずの2着と敗れてしまいました。

なお、3着クロコルージュとは6馬身差もついてました。

敗れはしましたが、健闘したエルには日本から駆けつけたファン以外からも大きな喝采が送られます。
現地メディアは「チャンピオンが2頭いた」と伝え、モンジューを管理したジョン・ハモンド氏も後に「おそらく硬い馬場だったら敵わなかったと思う。あれだけモンジューにとって好条件が揃ったのに、2頭の勝ち馬がいたも同然の結果だったのだから」と振り返ってます。
事前の宣言通り、エルはこのレースをもって引退となります。

◆引退

エルは10月11日に日本へ帰国。
帰国時には空港に「おめでとう 世界のSTAYER エルコンドルパサー」という垂れ幕が掲げられて出迎えられます。
日本中央競馬会や種牡馬としての繋養先となる社台スタリオンステーションからは、現役を続行しジャパンカップへ出走するよう要望が送られますが、渡邊氏はこれを固辞。
11月28日、モンジュー、タイガーヒル、ボルジアといった馬も顔を揃えるジャパンカップ当日の昼休みに東京競馬場で引退式が行われました。


翌2000年1月、JRA賞を決定する投票が行われた。当年はエルコンドルパサーの他、春秋の天皇賞とジャパンカップを制したスペシャルウィーク、同馬を破って宝塚記念、有馬記念の春秋グランプリ競走を制したグラスワンダーがおり「年度代表馬が3頭いてもおかしくない」といわれたほどの混戦になりました。
スペとの差が僅差ではありましたが、エルが年度代表馬の座を掴み、馬主の渡邊氏に対しても東京競馬記者クラブ賞が贈られた他、フランスにおいてはその年の競馬界で最も顕著な活躍をしたホースマンに贈られるゴールド賞を獲得、翌年3月にはアメリカのケンタッキー競馬協会より最優秀生産者賞が贈られました。

◆種牡馬としての実績

・ヴァーミリアン(フェブラリー含むダートG1を9勝)
・ソングオブウインド(菊花賞)
・アロンダイト(ジャパンカップダート)
母の父としては、クリソライト(ジャパンダートダービー)、マリアライト(エリザベス女王杯 、宝塚記念)、クリソベリル(ダートG1を4勝)などがおります。
GⅡGⅢまで含めるともっと多くの活躍馬がいるのですが、エルは現役を引退した3年後に腸捻転により死亡してしまいます。
たった3年という短い期間でここまでの結果を出せたというのは本当に凄い事で、競争能力の高さだけではなく、種牡馬としても超一流であったと言えます。

意外と小心な馬で長期間海外にいたり、短命だったりとキャラ付けが難しかったはずですが、ウマ娘では陽気なインチキ外国人みたいなキャラになってて驚かされました。
(変なマスクまでしてるし)
最強世代の5人の中ではボケ役と言えばスペちゃんですが、天然なボケを噛ますスペに対して計算されてそうなボケを噛ますエルちゃんは嫌いではありません。
二次創作でグラスを怒らすエルちゃんも大好きです。
明るいキャラながらも素は見せないというミステリアスな部分もエルの魅力だと思います。


当時の最強馬だったとは思うのですが「エルが海外遠征しなかったらスペもグラスも活躍出来なかったよねw」というのは反則です。
めっ!です、めっ!
未だに中距離部門ならディープインパクトに次ぐ2位という評価を受けているエルコンドルパサーという名馬がいた事を世にお伝え出来ましたら幸いです。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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