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【名馬列伝】メジロライアン【未完の大器】

平成三強(オグリ、イナリ、クリーク)に代わる「新三強」としてメジロマックイーン、ホワイトストーンと共に競馬界を大いに盛り上げたメジロライアンの紹介記事となります。

◆生い立ち

1987年4月11日、父アンバーシャダイ、母メジロチエイサーの仔としてメジロ牧場にて誕生します。
日経賞や目黒記念を勝ったメジロフルマーや、京都大障害(春)など4勝したメジロアニタなどの優秀な姉が二人もいたライアンでしたが、脚長で幅のある立派な馬体で、この年メジロ牧場で生産された馬の中では断トツで高い評価を受けておりました。
馬名は冠名の「メジロ」に、メジャーリーグベースボールの通算最多奪三振投手のノーラン・ライアンから「ライアン」を組み合わせた「メジロライアン」と命名されます。

◆ジュニア期〜クラッシック期前半

レース中まっすぐ走れなかったり軽い故障があったりし、初勝利は4戦目でした。
その後の条件戦で5着だったため、ファンからは「この程度の馬だったか」と見限られ感がありましたが、次のレースで7番人気ながらも勝利し2勝目をあげます。

年が明けてからのライアンは、失った期待感を再び取り戻す様な走りをし出します。
ジュニアC(OP)でデビュー以来3連勝中でクラシック候補の一角と目されていたプリミエールを差し切って勝利。
続く弥生賞(GⅡ)では2番人気に推され、見事勝利します。
※1番人気のアイネスフウジンは4着
デビュー4年目だった鞍上の横山典弘騎手は「皐月賞も、ダービーも全部勝てると思ったw」という程ライアンに期待が集まっており、関係者の間でも「クラッシックはどれか一つは獲れるだろう」という手応えがあったそうです。
皐月賞では2番人気に推されましたが3着。
※1番人気のアイネスは2着
ダービーでは皐月賞馬のハクタイセイ陣営から「アイネスフウジンよりもライアンの方が怖い」と言わしめましたが、

東京競馬場にこだまする中野コール。
アイネスフウジンが逃げ切り勝ちをし、1番人気に推されたライアンは2着でした。

◆クラッシック期後半

関係者からの期待感が強く、ファンからも強い馬という認識だったライアンですが、未だにGⅠは未勝利です。
秋初戦の京都新聞杯(GⅡ)を勝利し、本番の菊花賞でも1番人気となります。

「マックイーンだマックイーンだ!メジロでもマックイーンの方だ!」
前走まで条件戦を走っていたマックイーンが1着で、ライアンはホワイトストーンにも先着を許しての3着でした。
この時のメジロはパーマーはまだ無名でしたし、メジロといえばライアンだったのですが、今後はマックイーンがメジロの最強馬として名を馳せる事となります。
クラシック三冠競走で全て3着以内となり、かつ無冠という記録は1964年のウメノチカラ以来の出来事でした。
「いやいやいや、ライアンの力はこんなモンじゃないはず!」
当時の競馬ファンの多くは、なかなかビッグタイトルが獲れないライアンにイライラしていたのでは無く、むしろ応援していた人のほうが多かったそうです。
年末の有馬記念では「今後こそライアンがヤってくれる」と期待していたファンは多かったはずですが・・・

「オグリ1着!オグリ1着!右手を挙げた武豊オグリ1着!」
豊さんが挙げてた手は左手なんですけどねw

アプリに登場するベレー帽の紳士とは、競馬の神様と呼ばれた大川慶次郎氏の事で、この有馬記念で「ライアン!ライアン!」と実況に声が入るくらいの勢いで応援しておりました。
※大川氏はベレー帽では無くハンチング帽がトレードマークでした。
惜しくも2着のライアンでしたが、もし勝ってたらライス以上のヒール認定を受けていたかもしれません^^;

◆シニア期

年明け初戦はマイルの中山記念(GⅡ)で2着。

続く天皇賞(春)では、マックイーンとパーマーと同世代のメジロが三頭揃い踏みとなります。
ライアンは2番人気に推されるも4着で、1番人気のマックイーンに完敗してしまいます。
※パーマーは16番人気で13着

天皇賞親子三代制覇という偉業を成し遂げたマックイーンは「メジロといえばマックイーン」といった感じで、ライアンは「善戦マン」とか「メジロの2番手」というイメージがあったと思います。
第32回宝塚記念、1番人気は当然マックイーンです。

1着、メジロライアン!
早めの進出で後続を突き放し、そのまま粘り切っての勝利でした。
宝塚記念親子制覇、20年ぶりとなるメジロ軍団によるGⅠレース1着2着独占という記録を打ち立て、悲願のGⅠ制覇を成し遂げます。

◆引退まで

夏休みを函館競馬場で過ごしたライアンですが、調教中に右前脚の屈腱炎を発症します。
その後、復帰戦の有馬記念では12着、年明けのアメリカジョッキーC(GⅡ)でも6着と惨敗してしまいます。
3月の日経賞(GⅡ)では強い勝ち方で勝利を収めましたが、屈腱炎が再発し引退を余儀なくされました。
10月25日、東京競馬場で引退式が行われ、宝塚記念優勝時のゼッケン「1」を着用し、スタンド前を走行しました。

◆ライアンカット

ウマ娘のライアンはウマ娘の中でも最も髪が短いカッコいい髪型になってますが、実馬のライアンはたてがみの根元に寄生虫病が発症した事があり、それ以来たてがみを短く刈り込む処置がされました。
たてがみを短く刈り込む馬は珍しく、当時は「ライアンカット」と呼ばれてたそうです。

◆マッスル

ライアンといえば筋肉!マッスル!というイメージがありますが、実馬の方も500kgを超える雄大な馬体を持っており、特に女性人気が高かったそうです。
トレセン学園内で後輩のウマ娘達からファンクラブが出来るレベルで慕われているのも納得です。

◆ライアンの評価

実力は認められながらも惜敗続きであった事から判官贔屓的な人気を博し、人気面では実績が上野マックイーンを凌ぐほどでした。
先に述べた通り特に女性人気が高く、その母性本能をくすぐったためであるとも言われております。
ノンフィクション作家の後藤正治氏は「詰めに甘さを残す馬ではあったが、雄大な馬格に、なお底の見えない魅力を秘めていた。出走すればいつも人気になったのはそのせいであったろう」と述べてます。
JRAが制作したポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピーでは「本当の強さは、誰も知らない」というものであり、2000年に日本中央競馬会が実施した「20世紀の名馬大投票」では、ファン投票により第51位に選出されてます。

◆横ノリさん

若き日の横山典弘騎手とライアンです。
2001年に受けたインタビューにおいて、

今日の僕があるのはライアンがいたからです。

僕の事を成長させてくれた、いいパートナーでした。

クラシックを勝てなかったのは、僕が未熟だったからライアンが勝たせなかった。

レースはそんなに甘いもんじゃないよ、と厳しさを教えてくれました。

もし僕が簡単に三冠を取ったりしていたら、もう成長の止まったどうしようもない騎手で終わっていたでしょう。

伯父さん(奥平師)や小島浩三さんや、北野のおばあちゃんや、多くの人に支えられて勝てた。

一人で頑張っても、だめだということがよくわかった。

それをわからせてくれたのもライアンなんです。

と語っておられたのですが、後に「前はそんな風に思っていたけど、今、冷静に考えるとアイネスフウジンも強い馬です。それなりのラップで逃げて最後までばてなかったのだから、凄い馬だったんです」とか言ってて笑いましたw
しかしライアンの引退式で涙した横山騎手をみたライターの須田鷹雄氏は「横山典が泣くほどだ。ひょっとするとメジロライアンは、史上有数の未完の大器なのかもしれない」と述べてます。

◆種牡馬実績

現役時代は同期のマックイーンやパーマーに実績では負けてしまいましたが、種牡馬になってからは評価が逆転しました。
重賞を獲った仔を何頭も輩出し、GⅠ馬まで誕生しました。

天皇賞(春)、ステイヤーズS、アメリカジョッキークラブC、阪神大賞典、日経新春杯、共同通信杯4歳S、ラジオたんぱ杯3歳Sを制したメジロブライトと、

優駿牝馬、秋華賞、エリザベス女王杯2勝、阪神3歳牝馬S、オールカマー、府中牝馬SとGⅠレースを4勝もしたメジロドーベルです。
「史上有数の未完の大器なのかもしれない」というのもあながち間違いでは無かったかもしれません。

凄い実績を持った子ばかりのウマ娘界において「GⅠを1回しか勝ってないライアンはマックちゃんのおまけ」くらいにしか思って無い方も少なくは無さそうですが、当時の人気と期待感は非常に高く、種牡馬実績も文句無しの名馬だった事を知って頂けましたら幸いです。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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