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【名馬列伝】テイエムオペラオー【世紀末覇王】

「実績が凄いのは知ってるけど、実際強いのん?」と疑問に思われてる方も少なくは無いオペラオーちゃんについて解説する記事です。

◆生い立ち

1996年、北海道浦河郡浦河町の杵臼牧場にて誕生。
オペラオーの母であるワンスウェドの産駒は主に短距離で活躍する子が多く「距離の補強」が期待できる種牡馬としてオペラハウスが選ばれました。
後に馬主となる竹園正繼氏は牧場で見たオペラオーに一目惚れしその場で購入しようとしますが、オペラハウス産駒には市場取引義務があり競り市で落札する必要があるという事を告げられます。
1997年10月、静内で開かれた競り市では、開始と同時に竹園氏がコールした1000万円で落札されます。
「絶対に俺が競り落とすから、この馬を他の人に見せちゃ駄目だよ。これは絶対オープンまで行くよ。重賞も取れるかもしれないよ」
とおっしゃった竹園氏ですが、まさか当時の最強馬にまでなるとは思って無かった事でしょう。
1998年5月、栗東トレーニングセンターの岩元厩舎に入厩し、馬名には竹園氏が経営する会社名からとった冠名「テイエム」、父オペラハウスから「オペラ」、サラブレッドの王に、という願いを込めた「オー」の組み合わせでテイエムオペラオーと名付けられます。

◆ジュニア期〜クラッシックまで

1998/08/15に京都競馬場でデビューします。
断トツの1番人気に支持されましたが、生涯の主戦騎手となる和田騎手が絶えず手綱を押すなど追走に苦労する様子をみせ、1着に6馬身差の2着となります。
レース終に歩様に乱れがあった事から脚部のレントゲン撮影が行われ、右後肢下腿骨々折の診断が下されます。
幸い軽微なモノではありましたが、これにより暫く休養となります。
年が明けた1月16日にダートの未勝利戦に出走するも、調整途上という事もあり4着。
続く2月6日の未勝利戦では、2着に5馬身差を付けて初勝利をあげます。
2戦続けてのダート戦でしたが、2月27日に出走したゆきやなぎ賞は芝コースでも勝利をあげ、毎日杯(GⅢ)に駒を進めます。
初の重賞挑戦でしたが、2着に4馬身差を付けて圧勝し、陣営に確かな手応えとオペラハウス産駒として初の重賞勝利を飾りました。

◆皐月賞〜ダービー

毎日杯の勝利で賞金を加算したオペラオーは皐月賞への出走が獲得賞金上は可能となりましたが、ここで大問題が発生してました。
デビュー戦後に判明した骨折による休養から戻ってきた際「皐月賞には間に合わない」と判断した岩元調教師は、同競走への第2回登録を行って無かったのです。
このためオペラオーは皐月賞への出走権を持っていない状態でした。
こうしたケースの救済措置として「追加登録」という制度が設けられてましたが、通常の第2回登録費用が3万円であるのに対し、200万円と高額な費用が必要になります。
毎日杯の好内容とオペラオーの更なる良化に岩元調教師は見込み違いを反省し「登録料の半分を自分が負担してもいいから」と竹園氏を説得します。

RTTTでオペとオグリの絡みですが、毎日杯から数日後の杵臼牧場に、追加登録制度設置のきっかけになったとされるオグリキャップの調教師であった瀬戸口勉氏から電話があり、「毎日杯であんなに強い勝ち方をした馬はいないよ。あれは強い。皐月賞でも面白いよ」と話し、まだ追加登録が行われていなかった段階で「制度を利用すべきだ」という考えを伝えたかったが同業の岩元調教師に言うのは僭越だと感じ、遠回しに牧場へ伝えたというエピソードがあります。

そして迎えた皐月賞です。
1番人気は父サンデーサイレンス、母は2冠馬のベガである超良血のアドマイヤベガ。
2番人気はそのアヤベさんに勝利したナリタトップロードでで、2強対決と言われておりました。
厳しいローテーションだったオペラオーは5番人気で三強という様相ではありませんでした。
レースは第3コーナーから各馬は先行勢をとらえに動く中、オペラオーは追い出した時点ではまだ後方におり、竹園氏は「ああ。だめだ。負けた」と声をあげ、岩元調教師も「何を考えて乗っているのか」と舌打ちし、勝利を諦めていたそうです。

しかし最後の直線残り100メートルほどからオペラオーは一気に差を詰め、先頭のオースミブライトをゴール寸前でクビ差とらえて見事勝利します。
オペラオーのみならず、竹園氏、岩元調教師、和田騎手、杵臼牧場の全員にとって、これが初めてのGⅠ制覇であり、追加登録の精度を使って勝った最初の例にもなりました。

ダービーではアヤベさん、トプロと三強を形成しますが、調子のピークを越えていた事もあり3着に甘んじます。
和田騎手も「早めの仕掛けではあったが、遅らせても結果は変わらなかったと思う」
岩元調教師も「ダービーはしょうがない。馬がピークを過ぎてたから」
と語ってます。

◆勝てない日々

菊花賞を見据えて京都大賞典(GⅡ)からの始動となりますが、ツルマルツヨシ→メジロブライトの3着に甘んじます。
不調のスペシャルウィークが直線で失速したため、進路を失ったというのが敗因でした。

菊花賞の結果は皆さんもご存じの通りトプロが勝つのですが、レースが超スローペースだったにも関わらず仕掛けが遅かった和田騎手が責められる形となりました。
ダービーの「早仕掛け」に続く和田騎手の2度目の騎乗ミスとみた竹園氏は激怒し、岩元調教師に騎手の交代を要求しますが、岩元調教師は和田騎手を降板させる場合はオペラオーの転厩させると強硬な姿勢を見せたため、竹園氏が折れる形となりました。
その後「オペラオーに勝ち癖を付けよう」という事でGⅡのステイヤーズSに出走しますが、単勝1.1倍の人気に応えられず2着。

疲れが溜まってそうだった事もあり休養に入る予定でしたが、竹園氏の要望で有馬記念に出走します。
結果はグラスワンダーが勝ったのですが、オペラオーは差の無い3着でその実力の片鱗を見せつけました。
オペラオーはJRA賞において、最優秀4歳牡馬に選出されます。

◆世紀末覇王

長くなりそうだったので纏めました。
シニア期は8戦全勝で内5勝がGⅠです。
主なライバルは、ナリタトップロード、ステイゴールド、ラスカルスズカ、メイショウドトウなどで、1戦も落とす事無く勝利し続けました。
中には差をつけて勝ったレースもあったのですが、多くのレースが僅差であり、ファンの中には「マグレ勝ちが多いだけでは?」とおっしゃる方がいた事は事実です。
しかし「ハナ差圧勝」という言葉が生まれるほどオペラオーの勝負根性は凄まじく「アイツと追い比べをしてはダメだ」と言われる程に評価されておりました。
オペラオーがジャパンカップを制した時点で獲得賞金が12億円を超え、それまでの賞金王であったスペシャルウィーク抜き「世界賞金王」となります。
オペラオーのパフォーマンスは国際的にも高く評価され、レーシング・ポスト・レイティングでは当時の国内最高となる126の評価が与えられる程でした。

ウマ娘に出演している馬のJRA CM集
オペラオーのベストレースと言われる有馬記念では、最強馬と目されたオペラオーは他馬にマークされ、スローペースにも関わらず中盤から終盤まで進路が空かない状態でのレースとなりました。

テイエムオペラオー【有馬記念2000】
「残り200m切った。テイエムは来ないのか?テイエムは来ないのか?テイエム来た!×6 抜け出すか!?メイショウドトウとテイエムテイエムテイエムかぁ!テイエムかぁ!?僅かにテイエムかぁ!!」
絶対に一度はご覧になった方が良い伝説のレースです。
当時のコメントを以下に記します。
和田騎手「終わってみれば1頭だけが次元の違う勝ち方をしてくれていました」
岩元調教師「本当によく勝ってくれたと思います。偉い馬としか言いようがありません」
竹園氏「馬も騎手も可哀想でした。なんでこんなにいじめられなくちゃいけないんだろうと思いました。本当に涙が出るくらい可哀想でした。本当にもう、抜け出すまでは悲しくて泣きそうでしたけど、抜け出してからはもう絶頂でしたね」
メイショウドトウ騎乗の安田康彦騎手「今はあの馬(オペラオー)とは一緒に走りたくない」

年間GI5勝は、シンボリルドルフ、ナリタブライアンを抜いて歴代最多、重賞8連勝はタイキシャトルに並び歴代最多タイという大記録を作り、当然の如く満票で年度代表馬に選出されます。

◆ピークアウト

大阪杯の負けは調子的な問題で、天皇賞(春)は勝利してますし、宝塚記念では不利が響いての2着でした。
秋の京都大賞典も繰り上がりですが勝ってましたので、この時点ではまだオペラオーに対してピークアウトしていたという印象は持たれて無かったと思います。
問題は天皇賞(秋)です。

2001年 天皇賞(秋)(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式
オペラオーがドトウに並んだ時は「やはりこの二頭で決まりか!」と思ったのですが、抜け出したオペラオーよりも更に脚色の良かったあの子が・・・

大外からぶっ飛んできて差し切りました。
馬場状態が悪く、重馬場が得意なデジたんが有利だったというのはあったと思いますが「オペラオーと競り合うのは不味い」という事で「ヤリ過ぎなのでは?」と思われるぐらいの大外をぶん回しての差しきりがちです。
この時点で「オペラオーにはかつての強さがもう無いのでは?」と囁かれ始めたと記憶しております。

状態がピークだったと言われたJCでもポッケ君に敗れ2着。
ポッケ君を管理していた渡辺栄調教師曰く「最近のオペラオーの競馬を見ていますと、一番良いときに比べて少し力が落ちているように感じていました。あの馬の場合、競って負けたということを見た事がなかった。今日は競って負かしたことでジャングルポケットの強さを感じました」と述べてます。

有馬記念では消極的な乗り方がマイナスだった面もあり、生涯初の5着。
1着はマンハッタンカフェでした。
この有馬記念での賞金を加えたオペラオーの総獲得賞金は、当時2位のスペシャルウィークを7億円超上回る18億3518万9000円に及び、この記録は2017年末にキタサンブラックに破られるまで16年間保持されました。
翌2002年1月13日、京都競馬場でオペラオーとメイショウドトウが合同での引退式が行われ、インタビューを受けた和田騎手は「テイエムオペラオーからたくさんのものをもらいましたが、僕からは何もお返しできませんでした。これからは一流の男になって、彼に認められるように頑張ります」と、声を詰まらせながら話しました。

◆種牡馬成績

一般化していたシンジケートの組織は行われず、競走馬時代から引き続き竹園氏が所有する事となりました。
これは「シンジケート種牡馬は産駒が活躍すれば種付け株が高騰しシンジケート非加入の生産者が交配しにくくなり、その反対に低調に終われば加入者が損を被り、さらには手元に残る種付け株が不良債権のようになる恐れがあり、生産者達にそうしたリスクを負わせたくない」という想いからの行動でした。
残念ながら質の良い牝馬を集める事が出来ず、年々競馬のスピード化が進む傾向にそぐわないスタミナタイプの仔が多かった事もあり、種牡馬と成功を収める事は出来ませんでした。

◆オペラオーの強さ

・心臓が強い

・体が丈夫

・勝負根性が凄い

この三点に集約されていると思ってます。
心臓の強さに関しては、競走馬の運動強度に伴う負荷の掛かり方を明らかにする「運動負荷試験システムの確立と応用試験」というプロジェクトで明らかになった事なのですが、それ以前からオペラオーを診察していた栗東トレーニングセンターの獣医師は、オペラオーの心拍数がおおよそ26~28回/毎分と一般例(約36回/毎分)に比較して非常に少なく「拍動を1回飛ばしたのではないか」と誤認するほど、鼓動と鼓動の間に長い沈黙が現れる例があることを観測しております。
拍動数が少ないという事は、拍動1回あたりの体内への血液拍出量が多いという事で、血液拍出量が多いということは体内に送れる酸素量が多く、身体負荷の掛かりにくい有酸素運動をより長く続ける事が出来ると推測されてます。

体が丈夫という点に関しては議論の余地がありまして、怪我による長期休養をした事がありますし、食も細かった事から丈夫だったと言われるのには疑問を感じます。
主戦の和田騎手は「『勝った』と思ったらすぐに気を抜く。そんな賢さを持った馬でした。圧勝したレースがほとんどないのはそのため。あれだけ長い間好調を維持できたのは必要以上の力を使わなかったから、という面もあると思うんですよ」と語っておられる様に、無駄な力を使わず、良い調子を長くキープ出来たという点が大きかったと推察しております。

勝負根性の高さに関しては疑う余地が無く「並んじゃダメ!」と言われるほど勝負強い馬でした。

競馬ファンよりも関係者からの方が評価が高いオペラオーですが、8連勝を飾ったあの年の実績を超える馬はもう出てこないんじゃないかなーと思ってます。
現代競馬は強い馬は引退後の事まで見据えて大事に使う傾向がありますが、それを考えずにマネをしても1年を通じて好調をキープして結果を出し続けられる馬なんてそうそういないと思います。

ウマ娘のオペちゃんはちょっと変な陽気な子というイメージでしたが、RTTTでは熱いオペラオーが観れて大変満足でした。
いつかドットさんやデジたんが主人公のアニメが制作され、再び熱いオペラオーが観れる事を期待します。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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