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【名馬列伝】ミホノブルボン【坂路の申し子】

今回はミホノブルボンのお話ですが、

ウマ娘の方では無く、競走馬のブルボンが如何に凄い馬だったという記事となります。

おしながき

・輝かしい実績

・二つ名について

・ブルボンの血統について

・ 戸山調教師について

・ブルボン最大の功績

・輝かしい実績

8戦7勝(2着1回)でダービー含めG1は3勝です。
菊花賞でライスシャワーに敗れますが、その後のライスの長距離においての実績や強さを見ればブルボンが負けてしまったのもやむなしです。
菊花賞後は度重なる故障によりターフに復帰する事なく引退となってしまいます。
わずか1年と少しという短い期間ではありましたが、実績は十分と言えましょう。

・二つ名について

ウマ娘ではサイボーグウマ娘とか呼ばれているブルボンですが、これは史実に沿ったモノです。
現役時代は「サイボーグ」「坂路の申し子」「栗毛の超特急」と二つ名の多い馬でした。
他の馬の倍以上坂路で走り、サイボーグの様にタフで、綺麗な栗毛の速い馬だった訳です。
※ダービーでのラップタイムが12秒台のペースでひたすら正確に刻まれたという事もサイボーグと呼ばれた所以かもしれません。
坂路についてのエピソードは後にじっくりと語らせて頂きます。

・ブルボンの血統について

JRAのCMでブルボンは「常識は、敵だ。」と言われてます。
この常識とは何を指しているのかご存じでしょうか?
それはブルボンの血統にあります。
父マグニテュード 母カツミエコー 母父シャレーという血統なのですが、父マグニテュードは6戦未勝利で良血の血統「だけ」が評価されて種牡馬入りした馬です。
母カツミエコーも地方競馬の下級条件馬でした。
しかも父マグニテュードと母父シャレーはともにミルジョージとダンディルートという名種牡馬の代用種牡馬としてつけられたものであり、なかなかに残念と言わざるを得ない血統でした。
距離適性的には短距離からマイルといった所で「1600mが限界」と言われてました。
更にセリでの売買価格は700万円です。
地方競馬ならまだしも中央競馬で走る馬の中ではかなりの安値でした。
安値の短距離血統馬がダービーを圧勝したのです。
常識破りもいいとこです。

・ 戸山調教師について

ブルボンを語る上で外せないのが調教師であった故・戸山為夫さんの話です。

ご自身の著書が「鍛えて最強馬をつくる」という力強いネーミングの本です。
この戸山さんはハードトレーニングをする事で有名な調教師でしたが、自分の事よりも周りの事を優先して考える方でした。
戸山さんは騎手時代に思う様に勝つ事が出来ず、大変な苦労をされたそうです。
現役の騎手には自分と同じ苦労をさせたくないという気持ちから強そうな馬だからといって、有名な騎手に代えるといった事はしませんでした(これには賛否両論ではありますが私は感銘を受けました)
競馬会の未来の事も考え競馬サークルの大反対を受けながらも、調教師定年制度導入にご尽力されました。
レースで勝ち得た賞状や勲章は自分がではなく、苦楽を共にした妻が獲得したモノだとも語っておられました。
「鍛えて最強馬をつくる」を読んだ私だからこそ戸山さんに対する思い入れが少し強くなってしまってる感はあると思いますが、この戸山さんとブルボンが成し得た偉業はこの後に語る「坂路」にあります。

・ブルボン最大の功績

無敗のダービー馬という肩書は凄いと言えば凄いのですが、それはブルボンだけではありません。
シンボリルドルフ、トウカイテイオー、ディープインパクト、 コントレイルなどが無敗で皐月賞とダービーを勝っております。
それではブルボンの最大の功績とは何か?
それは先に申し上げた通り「坂路」です。
競馬の厩舎は美浦と栗東に分かれておりまして、美浦にある厩舎に所属している馬は関東馬と呼ばれ、栗東は関西馬と呼ばれます。
ブルボンが活躍する前の時代は関東馬の方が強かったのですが、ある時を境にその強さが逆転します。
急に関西馬が強くなった時期があったのですが、それは関西馬が坂路調教を積極的に行ったからでした。
栗東トレーニングセンターに坂路が出来たのは1985年で、ブルボンが生まれる4年前です。
英国ニューマーケットにある調教場を参考にして作られた坂路でしたが、平らなコースでの調教に慣れている当時の調教師達は、
「使用方法がわからない」
「馬が壊れたら元も子もない」
といった理由で新たに作られた坂路を使おうとはしませんでした。
そんな中「これは素晴らしい!」とフジキセキなどで有名な渡辺栄調教師、レッツゴーターキンなどで有名な橋口弘次郎調教師とスパルタ調教で有名な戸山為夫調教師がいち早く坂路調教を取り入れ「坂路の三鬼」と呼ばれておりましたw
その鬼がブルボンと出会ったのです。
並の馬だと1本でヘロヘロ、頑張っても2本が限界とされていた坂路調教をブルボンは4本行いました。
いつしか筋肉ムキムキになり、お尻が4つに割れていると言われた程のマッチョになったブルボン。
坂路での計測タイムは古馬顔負けの時計を叩き出すまでになりました。
ブルボンの実績はご存じの通りですが、このブルボンの大活躍により栗東の調教師達が「ウチも坂路で鍛えるぞ!」となった訳です。
ちなみに美浦に坂路が出来たのは1992年と栗東よりも8年遅かったです。
※丁度ブルボンがクラッシック戦線を戦ってた時です。
美浦の坂路は栗東のモノに比べて傾斜が緩やかで勾配の規模も小さいという点も宜しく無かったかもしれませんが、坂路調教の差がかなり大きく、弱かった関西馬が強くなりました。
ブルボンと戸山氏の最大の功績は「坂路調教が効果的である事を示し、日本競馬のレベルを上げた」です。
他の馬の場合、競馬界全体のレベルアップという話になりますと種牡馬や繁殖牝馬としての活躍しか無いと思います。
残念ながらブルボンは種牡馬としては実績が残せませんでしたが、他の馬には出来ない方法で競馬界でレベルを上げたのは偉業といっても差支えないでしょう。

1992 日本ダービー(G1) ミホノブルボン.mp4
もっと画質の良いモノがyoutubeにありましたが、この時の実況が好きなのでコチラを選びました。
前年度のトウカイテイオーが菊花賞には出走出来なかった為、生まれて初めて三冠馬が見れるかもしれない!という期待に胸を膨らませて当時は私は応援しておりました。
※ルドルフとシービーのレースは見そびれていた私です。
この動画を観ると当時の感動が蘇ってきます。
ブルボンは私が最も好きな競走馬です。
この偉業を成し遂げた名馬を好きになってくれる方が一人でも増えましたら幸いです。

ウマ娘のブルボンもアホ可愛いので大好きです。
最近あまり育成してないけども
ブルボンについてまだまだ語り足りない感はあるのですが、それはまた別の機会にさせて頂きます。
今回はこの辺にしておきます。
それでは、またノシ

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