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【名馬列伝】シンボリルドルフ【皇帝】

今回は皇帝ことシンボリルドルフの紹介記事となります。

史上初の無敗でクラッシック三冠を制したルドルフですが、実績だけで無く皇帝という名に相応しい名馬でした。

・皇帝誕生

父パーソロンはリーディングサイアーに2度なった名種牡馬で、母スイートルナはシンボリ牧場が生産した名馬スピードシンボリの産駒です。
額に三日月に似た形がついているという特徴を持ち、誕生から立ち上がるまでにかかる時間がわずか20分だったそうです。
牧場にいる頃は「ルナ」と呼ばれていたのですが、ウマ娘でもその設定が生かされてるのが嬉しいですね。

・岡部騎手について

ルドルフを語る上で外せないのが全レースに騎乗した岡部幸雄騎手です。
競馬の主役をあくまで馬とみなし、馬と同じ目線に立って馬の気持ちを汲み取る「馬優先主義」をはじめとする理念や技術を日本に持ち込んだ名ジョッキーで、歴代勝利数は武豊騎手に続き堂々の第2位です。
スーパークリークが武豊騎手を育てたとされてますが、岡部さんは「ルドルフに競馬を教えられた」とおっしゃっております。
2943勝もした天才に競馬を教えたというルドルフの活躍を以下に記します。

・デビュー戦から違ったルドルフ

1983年7月23日新潟競馬の新馬戦でデビューとなったルドルフ。
野平調教師は岡部騎手に「1600メートルのつもりで乗ってほしい」と指示し、岡部騎手はそれを実行し圧勝。
続くいちょう特別(現・サウジアラビアロイヤルカップ)も「1600メートルのレースで2400メートルの競馬をする」というレース運びで調教の様に走って快勝を収めました。
気性難の馬にはとても出来ない競馬で、デビュー前から頭がいい馬という評価だった事が伺えます。

・楽では無かったクラッシック期

デビュー歳を3戦3勝で終え、クラッシック期は弥生賞からのスタートとなりました。
3か月ぶりのレースで馬体重が18kg増となり、それが原因で2番人気となりましたが強敵であるビゼンニシキを下して勝利します。
しかしこのレースで負傷したルドルフは満足な調教が行えないまま皐月賞に挑む事となります。
負傷による休養を取り戻す為に強めの調教を行った結果、馬体重は22kgも減少してました。
レースはまたしてもビゼンニシキと一騎討ちとなり、外に斜行するくらいビゼンニシキと激しくぶつかり合いながらもレコードタイムで勝利しました。
表彰式で三冠を意識して岡部さんが一冠を示す1本指を指し示したのは有名です(このパフォーマンスはのちにディープインパクトに騎乗した武豊騎手も行いました)

2冠目の掛かった日本ダービーですが、向こう正面で岡部さんのゴーサインに反応しなかった為に競馬場は騒然となりましたが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。
この出来事から岡部さんは「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語ってます。
この年は長期寒波と多雪の影響で芝の状態が非常に悪く、春になっても芝状態が回復しなかったために大量の砂が入れられ、時計の出ないパワー型の馬場になってました。
そのために時計が遅くなり逃げ先行が有利で上位には、翌年重馬場のエプソムカップを快勝することになるスズマッハ、ダート戦を4馬身差で楽勝しているスズパレード、大型馬フジノフウウンなどの先行勢が入り、後ろから追い込んだ馬はルドルフだけでした。
無敗での二冠制覇はトキノミノル、コダマ以来3頭目の快挙だったでここでも岡部さんは表彰式で二冠を示す2本指を立てました。

ダービー後海外遠征の予定がありましたが、右前脚に故障を発症し断念。
故障した右肩も回復し復帰戦のセントライト記念をレコードタイムで勝利し、三冠目を賭けた菊花賞に出走します。
「大歓声だ大歓声だ!赤い大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!!我が国 競馬史上不滅の大記録が達成されました!」
第3コーナーではやや前の馬が壁になったものの見事クラッシック三冠を達成しました。
勿論表彰式では岡部さんが三冠を示す3本指を立ててます。
史上初の無敗の三冠馬誕生の瞬間です。


続くジャパンカップでは初の敗北を味わう結果となります。
中1週という厳しいローテーションで、下痢をするなどの体調不良が大きく報道されました。
結果は3着。
上がり3ハロンはかなり早かったのですが、前を捕らえる事は出来ませんでした。
初の敗戦後に迎えた有馬記念は前走カツラギエースにノーマークで逃げ切られた反省から、カツラギエースをマークする競馬に徹し、ジャパンカップの再現を狙って大逃げを図るカツラギエースの終始2番手を追走。
最後の直線で計ったように交わすと、粘るカツラギエースに2馬身差をつけてレコードタイムで勝利し、中央競馬史上初の4歳四冠を達成します。
表彰式で岡部さんは4本指を立てます。

・シニア期も大変だった

1985年初戦の日経賞は単勝オッズが1.0倍で、手綱を持ったまま4馬身差の圧勝。
次走の天皇賞(春)もサクっと勝ちます。
ここまでは順調だったのですが、宝塚記念前日に負傷し出走が取り消しとなりました。
この怪我の具合は思わしく無く、一時は引退も視野に入れられていた様です。
「イチかバチかの大バクチ」と祈る思いでやった笹針治療が功を奏し、何とか回復したルドルフですが、天皇賞(秋)はまともな調教が出来ていない状態で臨む事となりました。
出遅れからのスタートで最後方からのレースとなりましたが、向こう正面で一気に好位にまで上がっていき、直線入り口では早くも先頭に立ちます。
「このまま勝つのか!?」と思われたゴール前、
「あっと驚くギャロップダイナ!!」
13番人気の伏兵ギャロップダイナに差されてしまいます。

次走は前年度敗北したジャパンカップで更に重馬場でもありましたが、体調が良くなった皇帝が負ける訳ありません。
危なげなく勝利を収めます。
ジャパンカップの為に来日していた海外の競馬関係者ですが、ルドルフを見てひとしきり話題になったそうです。
イギリスの名手、レスター・ピゴット騎手は「イギリスでもこれだけの馬はちょっといない。ヨーロッパに遠征したときは、ぜひ私に乗せてほしい」とオーナーに頼みこむ程で、カナダ招待馬バウンディングアウェイのM・ベンソン調教師も「こんなに素晴らしい馬ははじめてみた。カナダにはいない」と最大級の賛辞を贈りました。
こうした声が外交辞令でなかった証拠に、4月6日付けのアメリカ最大の競馬日刊紙「デイリーレーシングフォーム」ではルドルフを賞金王ジョンヘンリー、前年の凱旋門賞馬サガスとともに同等に扱って紹介しました。
8月25日に行われるバドワイザー・ミリオン(アーリントンパーク、芝2000m)に予備登録した243頭の名を列記したこの記事は、ルドルフをその中で有力馬としてクローズアップされる程でした。

日本で最後となったレースは有馬記念です。
「世界のルドルフやはり強い!3馬身4馬身!日本のミホシンザンを離す!日本最後の競馬!最後のゴールイン!ルドルフ圧勝致しました!日本でもうやる競馬はありません!あとは世界だけ!世界の舞台でその強さをもう一度見せてください!!」
G1を3勝したミホシンザン相手に文句無しの圧勝でした。
15戦13勝、G1レース7勝
「競馬には絶対は無いがその馬には絶対がある」
2年連続の年度代表馬に選出されましたが、満票だったのは史上3頭目という快挙でした。

・海外遠征

オーナーと調教師の意見が割れ、結果的にオーナーの意向でアメリカで調整してからヨーロッパに遠征というプランがとられました。
野平調教師は春は休養に当てるべき・・・という判断だったそうですが、オーナーの意向には逆らえませんでした。
そういった経緯から遠征に野平厩舎の関係者は帯同せず、調教から何からを現地のスタッフに任せる事態となってしまいました。
また海外戦にオーナーは野平調教師を招待せず、やむなく一般観戦ツアーで参加する形で現地へ移動と信じられない状況でレースを迎える事となります。
レース直前の調教で岡部さんはルドルフの異変を察知し、陣営にレース回避を進言しましたが聞き入れられる事はありませんでした。
レース中に故障し結果は6着。
コースの特徴でもあるダートコースを横切る場所で左前脚繋靭帯炎を発症した様です。
その後引退となり、種牡馬となります。
天才で強くて毎回楽勝で勝つ!というイメージの強いルドルフですが、まともな状態で出走できたレースが意外に少なかった事は世に伝えたいと思ってます。
万全な状態で無くても危なげなく勝つ辺りが非凡な証であり、皇帝と呼ばれる所以でもある事でしょう。

・皇帝の逸話について

ルドルフが強すぎて
セントライト記念でのレコードタイムの圧勝劇に、せっかく権利を取れた陣営がレース直後に菊花賞への出走を辞退するという異例の事態が起きました。
セントライト記念で2着に入った皐月賞3着馬オンワードカメルンの二本柳一馬調教師はレース後の囲み取材で「いや、いや、とても菊花賞へなんて行けません。偉大な馬が1頭おりますからね。自分の力に合ったレースをこれから使っていきます」と語り、菊花賞への出走を辞退しました。
また、同レース7着のサクラクラウンに騎乗していた小島太騎手(現調教師)は「あの馬はバケモノだぁ!」と検量室で叫んだそうです。
相手に困った
ルドルフと併せ馬した相手が自信喪失してしまう事が多く、相手探しに苦慮したそうです。
意外と暴れん坊だった
厩舎では気が荒く「ライオン」とのあだ名がつけられてました。
野平調教師によると「厩舎の馬房にいるときは乱暴な振る舞いをしたが、馬房から外に出ると堂々として暴れることはなかった」との事で、気ままに振る舞っていい場所をわきまえていたと言われてます@賢いですね
悔し泣き
天皇賞(秋)でギャロップダイナに負けた時、悔しくて馬房で涙を流したと報じられました。
カメラを向けるとポーズを取った
カメラがどういうものであるかを漠然とながら理解していたらしく、取材時にカメラを向けると自分からポーズをとってくれたそうです。
ファンサービスのルーチンも決まっていたらしく、牧場の調教で他の馬と歩く時は常に先頭で、ルドルフが振り向くと後続の馬はみんなビビって止まったと岡部さんが語ってました。
流石は皇帝

種牡馬となったルドルフの代表産駒は皆さんもご存じかと思われますが、トウカイテイオーです。
「プライドが高くて頭がいい」という所がバッチリ受け継がれてるのが凄いですよね!
無茶なローテーションで無ければ国内無敗もあったと思いますし、海外遠征も計画的に行えば勝てたかもしれません。
素人の私がとやかく言うのはナンセンスかもしれませんが、当時も今も競馬ファンの間では「関係者がまともだったら」と言われております。
しかし今ほど海外遠征に盛んでは無かった当時の状況を鑑みれば、ある程度は仕方が無かったのかもしれない・・・とも思います。
「勝利より、たった三度の敗北を語りたくなる馬、シンボリルドルフ」
物凄い実績もさることながら、実績以上の強さがあった皇帝の凄さを多くのウマ娘ファンに伝えたい所です。
伝わってたら嬉しいです。
それでは、またノシ

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