マイセンのブログ

アニメのレビューとウマ娘の攻略記事がメインです
Twitter→@mysen777

【名馬列伝】サクラバクシンオー【驀進王】

「短距離の最強馬は誰か?」という話題なら必ず名が挙がって来るバクシンオーの紹介記事です。

・生い立ち

1989年、北海道早来町の社台ファーム早来で産まれます。
父は1986年の天皇賞(秋)優勝馬サクラユタカオー、母は天皇賞と有馬記念に優勝したアンバーシャダイの全妹・サクラハゴロモ。
1歳上の従兄には後の阪神3歳ステークス優勝馬・イブキマイカグラもるという中々の良血です。
人間に対しては素直で大人しい性格で、体質が弱く、脚部不安も抱えていたというウマ娘のバクシンオーとは大分異なるイメージです。
調教では優れたスピード能力を見せてもいたモノの、血統的に中長距離向けと見られておりました。

・クラッシック期

デビュー年は遅めでクラッシック期になってからでした。
3戦2勝(2着1回)とまずまずの成績を収め、スプリングステークスへと駒を進めます。

ウマ娘のアニメではバクシンオーがブルボンを短距離路線に誘ってましたが、レースの結果はブルボンの圧勝でバクシンは12着。
大敗の原因は距離以上に重馬場が原因だったのですが「この馬は短い距離が得意の様だし、ブルボンの様な化け物と同じ路線を歩むのは厳しい」という判断から以降は短距離路線を歩む事となります。

次戦となるクリスタルCで重賞初勝利を挙げ、OP戦の菖蒲Sも勝利します。
ですがNZT4歳Sでは1600mという距離がいけなかったのか7着と惨敗します。
その後も京王杯オータムH(G3)→多摩川S(OP)と連敗してしまいますが、距離は共に1600mでした。
1400mのキャピタルS(OP)では好タイムを出し快勝。
初のG1となるスプリンターズSに挑みます。

前半600メートルは32秒8という馬鹿みたいなハイペースに巻き込まれたバクシンオーは6着と惨敗してしまいます。
バクシンオーが1400m以下のレースで唯一負けたレースでした。
ちなみにこの時勝ったのは後ろからの競馬をしたニシノフラワーちゃんでした。

・シニア期

スプリンターズSに脚部不安が発生し、前半はお休みとなります。

復帰戦のオータムスプリントS(OP)で勝利しますが、続くアイルランドトロフィー(OP)は苦手な重馬場のせいで4着
その後キャピタルS(OP)を連破し2度目のスプリンターズSに挑みます。
この年から逃げ一辺倒では無く、先行策も使える様になったバクシンオーは明らかに強くなってましたが、相手は前年度覇者のニシノフラワーちゃんとその時2着だった強敵ヤマニンゼファー(安田記念連覇&天皇賞秋を勝利)です。

ニシノちゃん3着
ゼファー2着
力強い走りを魅せたバクシンオーが初のG1制覇を成し遂げました。

・短距離最強馬

年明け初戦のダービー卿チャレンジ(G3)を単勝1.2倍の人気に応え、手綱を抑える余裕をみせながらも勝利します。
が、安田記念&毎日王冠は共に4着でした。
「バクシンにはマイルは無理だなぁ」
そんな声が強かった気もしますが、毎日王冠では1000メートル通過57秒5というハイペースで飛ばしながらも直線半ばまで先頭で粘ってましたので、もう少しペースが緩やかだったら勝てていた可能性もありました。
再び短距離となるスワンSでは「本当は抑えるだけ抑えてみるつもりだった」という作戦だったそうですが、手綱を抑えたままでも2番手から先頭に立ち、着差以上の強さを魅せて勝利します。
続くマイルチャンピオンシップではスワンSで2着だったノースフライトにやり返されて2着。
結局バクシンオーは生涯1600m以上のレースでは勝てませんでした。

マイル以上はアカンけど短距離なら最強。
これが当時の競馬ファンの共通認識だったと思います。
「勝敗を問わず次のレースで引退」
こう報じられて挑んだスプリンターズSでしたが、この年から国際競走となり3頭の外国馬が出走する事になりました。
その中には通算18戦14勝、アメリカの短距離G1最高峰であるブリーダーズカップ・スプリントでチェロキーランに頭差の2着という実績をもち「米スプリント界を代表する馬」と触れ込まれたソビエトプロブレムがいました・・・
が、日本ではバクシンオーの優位は確実とみられ、当日はソビエトプロブレムを抑えバクシンオーが単勝1.6倍と高い支持を受けます。
レースは前半600メートルが32秒4という「超ハイペース」をみながらの4番手を進み、第3コーナーから最終コーナーにかけて進出します。

「サクラバクシンオーがここで先頭に立った!バクシンオーが先頭に立った!さぁ小島太これが最後の愛の鞭、これが最後の愛の鞭、バクシンオーだバクシンオーだ引退レース、バクシンオーが先頭だ!」
最後の直線では独走状態となり、後方から追い込んだビコーペガサスに4馬身差をつけての優勝を果たします。
※ソビエトプロブレムは見せ場もなく7着でしたw
※何気に2着に食い込んできたビコペの末脚が半端無かったです。
短距離のG1でここまでの着差なんてそうそう付けられるモノではありませんし、勝ちタイムもレコードと文句無しの勝利でした。

・スプリンターとしての評価

「マイル」と「スプリント」が曖昧だった1990年代にあって、スプリンターとしてはじめて「超一流」との評価を得て、明確に「スプリントの王者」として現れた最初の馬であるとされてます。
当時の評価は以下の通りです。
JRAの広報誌『優駿』
「『地の利』などという言葉で表現してしまうのはあまりにも失礼な強さ」「これが世界一速い馬だ。そう言ってしまいたいほどサクラバクシンオーは強かった」
社台ファーム吉田勝己氏
「内国産馬からこれだけのスピード馬が誕生したのは大きな進歩。今年、世界で一番速いのは間違いなくこの馬」
海外競馬評論家の合田直弘氏
「6ハロンなら当時世界最強だったかもしれない」
ライターの谷川善久氏
「もう少し遅く生まれていれば、サクラバクシンオーはさらに多くの勲章を勝ち取っていたことだろう。速すぎた馬、そして早すぎた馬、といったところだろうか」

・アンケート結果

『優駿』が2012年に行った「距離別最強馬」アンケートでは、全6つのカテゴリーの中で唯一過半数の得票率を記録し「1200メートル」でバクシンオーが断トツの1位となります。
合わせて競馬関係者を対象として行われたアンケートでは、17人の内13名が1200メートルでバクシンオーを選定した程でした。

・種牡馬としての実績

G1馬を4頭排出したバクシンオーですが、産駒は短距離で安定して活躍する子が多く、種牡馬として成功を収めてます。
※2015年9月には産駒の中央競馬勝利数で史上単独5位となる1380勝目を記録
ブルードメアサイアーとしても優秀で、

「張り切っていこー!」の子もバクシンオーのお孫さんです。
基本的に子供も孫も短距離馬が多かったのですが、たまに長距離も走れる子が生まれるのがバクシンオーの血の意外性でもありました。

実績だけ見たらG1レースは2勝だけと、他のウマ娘と比べて「短距離最強と呼ばれた割には大した事ないな?」と思われるかもしれませんが、当時は短距離のG1はスプリンターズSだけでしたし、今の様に海外遠征も盛んではありませんでした。
「速すぎた馬、そして早すぎた馬」と呼ばれた様に、バクシンオーに時代が付いてくれて無かった感があります。
負けたレースも多かったのですが、短距離では12戦11勝と鬼の様な強さだったバクシンオー。

「最後に勝つ者が、勝者だ」とか当たり前の事を言っておりますが、それでもカッコいいと思ってしまったのは私だけでは無いはずです。
バクシンオーを★3にせず★1で出してくれたサイゲさんの優しさに敬礼(`・ω・´)ゞ
それでは、良きバクシンライフをノシ

にほんブログ村 ゲームブログ スマホ・携帯アプリゲームへ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する