【名馬列伝】ナリタタイシン【鬼神】
BNWの一角であるナリタタイシンの紹介記事となります。
ウマ娘のアニメでは見せ場となるレースが飛ばされてたので、当記事でタイシンの凄さをお伝え出来れば幸いです。
◆特徴
カミソリのような鋭さの、反抗的なウマ娘。
体の小ささから小バカにされ続け、速さで見返すためにレースの世界へ飛び込んだ。
態度が尖っているのは、ただナメられたくない一心からである。
身長:145cm 体重:計測拒否 スリーサイズ:B69・W50・H73
※公式サイトより
遅生まれな上に馬体重は420kg前後で、体質的も弱い馬でした。
虚弱で気弱な子という設定にも出来たかもしれませんが、私は今のタイシンが大好きです。
◆ジュニア期
1992年7月11日、札幌でのデビュー戦は6着でした。
デビュー戦後球節に疲労が出たため放牧に出され、10月の福島での3歳未勝利戦で復帰し初勝利を挙げます。
その後は、きんもくせい特別6着、福島3歳ステークスと千両賞で2戦連続2着とイマイチでしたが、重賞初挑戦となったラジオたんぱ杯3歳ステークスでは4コーナー8番手から差し切って重賞を初勝利を挙げます。
なお、前週に半姉ユーセイフェアリーが阪神牝馬特別に勝っており、姉弟で2週連続の重賞制覇となりました。
◆クラッシック期
年明け初戦のシンザン記念(GⅢ)では2着、続く弥生賞(GⅡ)ではウイニングチケットと初対戦となりましたが、またしても2着に終わります。
道中ウイニングチケットと同じ様な位置取りだったにも拘わらず、2馬身差という着差はハッキリと実力の差を見せつけられたという印象でした。
クラシック第1戦の皐月賞ではウイニングチケットと若葉ステークスを勝ったビワハヤヒデに続く3番人気に推されます。
レースではスローペースの中、1コーナーで最後方、4コーナーでも12番手という位置取りでハヤヒデが本命でチケゾー&タイシンの馬券を買っていた私は「タイシンは無いな」と思い残りの2頭を応援しておりました。
外からトンでも無い脚ですっ飛んできて見事勝利、驚きましたw
2着はハヤヒデ、チケゾーは4着でした。
日本ダービーでもチケゾー、ハヤヒデに続く3番人気となりましたが、
最内枠がアダとなり、チケゾー、ハヤヒデに次ぐ3着でした。
ダービー後、7月の高松宮杯(中距離GⅡ)に出走しますが、逃げるロンシャンボーイを捕まえ切れず2着でした。
秋初戦は京都新聞杯の予定も、1週前の追い切り中に運動誘発性肺出血を発症して出走できず、菊花賞にぶっつけで挑み終始後方のまま17着と惨敗します。
※ハヤヒデが優勝しチケゾーは3着
※マイセンさんはこの年のクラッシックは全てハヤヒデ本命で馬券を取りました
◆シニア期
古馬となった初戦の目黒記念(GⅡ)では59.5kgを背負いながら大外直線一気を決めて皐月賞以来の勝利を挙げます。
続く春の天皇賞は本格化し現役最強となりつつあったハヤヒデに対し、3コーナーから捲るという奇襲に出ますがハヤヒデには敵わず2着に終わります。
敗北はしたモノの完全復活したかに思われたタイシンでしたが、天皇賞後は度重なる怪我に悩まされる事になります。
宝塚記念の前には右後脚に軽度の骨折が判明して休養。
秋に復帰する予定でしたが、京都大賞典は下痢で回避、さらに天皇賞(秋)の前には屈腱炎を発症し1年近くの休養を余儀なくされます。
6歳になり宝塚記念で復帰しますが、1年1か月ぶりの出走で16着でした。
そして高松宮杯へ向けて調整していた最中に屈腱炎を再発させ、そのまま引退となります。
◆引退後
引退後は種牡馬となり、6シーズンで血統登録頭数160頭、出走頭数はそのうちの140頭、74頭が勝ち馬となります。
産駒は重賞勝ちが1回と奮いませんでした。
種牡馬引退後は日高町のベーシカル・コーチング・スクールで余生を過ごし、2020年4月13日に老衰のため30歳で世を去ります。
サンケイスポーツから「将来的に平取町の義経神社で祀られる予定」とも報じられました。
◆競走馬としての評価
ウマ娘の中ではかなり地味な実績で、ライバルのハヤヒデと比較すると大分劣って見えてしまいます。
ですが皐月賞で魅せた末脚は忘れられませんし、59.5kgという斤量を背負って勝った目黒記念や春の天皇賞での走りは確かに本物でした。
BNWの末脚担当として多くの競馬ファンの記憶に残っている名馬である事を、ウマ娘で知った方々にもお伝え出来ましたら幸いです。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ