マイセンのブログ

アニメのレビューとウマ娘の攻略記事がメインです
Twitter→@mysen777

【名馬列伝】メジロマックイーン【名優】

元々人気がありアニメでも大人気でしたが、アプリ版でいい意味でイメージを壊すギャップで更に人気が高まったマックちゃんの紹介記事です。

・幼駒時代

1987年、北海道浦河町の吉田堅牧場で生まれます。
幼いころは病弱な馬であり、高熱を出したり怪我をする事がたびたびあり、調教を積んでもなかなか体重が絞れなかったり、更にすねに骨膜炎(ソエ)も発症したためデビューは4歳の2月と遅れる事となりました。
この年のメジロ牧場の同期馬は特に「メジロ87年組」と呼ばれ、後に宝塚記念を制するメジロライアン、宝塚記念と有馬記念を制するメジロパーマーなどがいる豊年であり、その中でマックイーンは2番目ないし3番目くらいの評価でした。

・メジロはメジロでも

デビュー戦は勝ったモノの続く条件戦の500万下で3連敗。
その後条件戦を連勝しますが、嵐山Sで2着に敗れ獲得賞金額の問題で菊花賞への出走が危ぶまれます。
嵐山Sで騎乗した内田浩一騎手は自身の騎乗ミスが許せず「落馬して救急車で運ばれようか?」と本気で考えたそうです。
獲得賞金の高い馬が出走回避したため、どうにか菊花賞に出走出来る事にはなりました。
一番人気は同じメジロのライアンでしたが、

「マックイーンだマックイーンだ!メジロでもマックイーンの方だ!!」
直前の併せ馬調教でマックイーンがライアンに先着したり、長距離向きの血統が評価されてたりはしましたが、まさか重賞初出走のマックイーンが勝つとは驚きです。
当時の私は「メジロが勝ったの?ぁあ、ライアンか・・・え?マックイーン!?」と驚いたモノです。
ちなみに重馬場だったにも拘わらず、優勝タイム3分6秒2は菊花賞史上3位(当時)の走破タイムでした。
その後は食欲不振に陥って調整の遅れが乱れた事や「有馬記念はライアンに獲らせたい」という陣営の意向によりマックイーンは休養に入ります。

・シニア期

復帰戦から鞍上が武豊騎手に代わります。
阪神大賞典を難なく勝ち、春の天皇賞に挑むマックイーン。
メジロライアン、ホワイトストーンとの「3強」の争いという前評判でしたが、

単勝1.7倍の人気に応えて見事勝利します。
メジログループ前総帥・北野豊吉の宿願であった父子3代天皇賞制覇という偉業ががここに達成されました。
続く宝塚記念ではライアンの2着に敗れますが、京都大賞典に勝利し秋の天皇賞に出走します。

ゴールを最初に駆け抜けたのはマックイーンでしたが、結果は18着。
スタート直後の斜行が災いして、ビリに降着処分となってしまいます。
その後のジャパンカップでは4着、有馬記念は大穴のダイユウサクに敗れ2着に甘んじました。
マックイーンの最大の欠点は瞬発力の無さであり、この2敗はそれが原因だと言われてます。

・春の天皇賞連覇

年明け初戦の阪神大賞典を連破し、春の天皇賞にすすみます。

当時無敗のトウカイテイオーとの「世紀の対決」で大いに盛り上がったレースです。
1番人気はトウカイテイオーに奪われましたが、

結果はご存じの方も多いと思いますが、マックイーンが連覇します。
天皇賞親子3代制覇もとんでも無い偉業ですが、春の天皇賞連覇も凄い事です。
ちなみに鞍上の武豊騎手は1989年のイナリワンから春の天皇賞4連覇となりますw
次走は宝塚記念を予定してましたが、調教中に骨折し長期休養を余儀なくされます。

・黒い刺客

復帰戦の産經大阪杯を勝利し、春の天皇賞3連覇を狙うマックイーンですが、

このレースに全てを賭けてきた馬がいました。
菊花賞でブルボンの三冠を阻止した漆黒のステイヤー

その名はライスシャワー
確かにマックイーンに次ぐ2番人気ではありましたが、当日の馬体重の激減を見て「マックイーンの三連覇だな!」と思った方が多かったはずです。
結果は最高の走りをしたメジロパーマーを早い仕掛けで上回ったマックイーンを更に上回りライスが勝ちました。
コレはこの距離無敗のライスを褒め称えるしかありません。

宝塚記念は無事勝利します。
ライスが中距離で実績が無いという理由で、なかなか種牡馬入り出来なかったのに対しマックイーンは文句無しの実績を打ち立てます。
秋初戦の京都大賞典では2分22秒7という当時のコースレコードで、レガシーワールドに3馬身半差をつけ優勝。
その結果、獲得賞金が史上初の10億円突破となります。
しかし、秋の天皇賞目前で左前脚部繋靱帯炎を発症し、引退に追い込まれてしまいます。
約1か月後の11月21日、京都競馬場で引退式が行われました。

・競走馬としての評価

「無尽蔵」とも称された豊富なスタミナを活かし、ハイペースの長距離戦でも先行策をとってそのまま押し切るというレーススタイルが得意でした。
当時は「史上最強のステイヤー」と評されてました。
5歳以降に手綱を執った武豊騎手は「短距離でも充分に強く、ただ距離が持つだけ」「マイルのGIレースでも勝負になった」「スプリンターズステークスでもメンバーによってはブッチぎったかもしれない」と発言しております。
武騎手は後年になって、凱旋門賞に挑戦してみたかった名馬としてキタサンブラック、スーパークリークとともに本馬を挙げた上で「スタミナが半端なかったし、道悪もいいし、スピードもある。レースに注文があまりつかなかった」と述べて能力を高く評価しました。

・晩成型だった?

コレも武騎手の発言ですが、7歳の大阪杯で初めて「凄味が出てきた」と評し、結果的にラストランとなった京都大賞典の後には「7歳の秋だというのに、さらに強くなっていた。ホンマ、わからん馬やわァ」「これまでになかった凄みが出てきた。この秋のマックは違いますよ」とコメントし「今さら僕がどうのこうの言うレベルじゃない。本当に凄い馬ですよ」と絶賛してます。
7歳は一般に衰えが見られる年齢とされており、その成長曲線が特殊であるとの評価でした。

・面白く無い

全21戦中で単勝2番人気以下に落ちたのは3戦のみという人気っぷりは馬券での話です。
同期のメジロライアンが惜敗続きで判官贔屓的な人気を博していたのに対し、マックイーンは「強いばかりで面白みがない」とも評され、強さの割に人気がないと見られていました。
「絶対の強さは、時に人を退屈させる」というフレーズはJRAのCMからです。
実際は普通に人気がありました。
6歳時に骨折した際には、回復を祈るファンからの何万という折り鶴が厩舎に送られ、涙ながらに応援の電話をかけてくる女性ファンも存在したことを池江調教師が明かしてます。
またタマモクロス、オグリキャップと続いた芦毛の最強馬、さらに祖父メジロアサマ、父メジロティターンより続く芦毛の系統という事実から「芦毛伝説第三章」というフレーズと共に応援するファンも多数いらっしゃいました。

・種牡馬として

人間と違って種牡馬は速さが評価されます。
「早撃ちのマック」と呼ばれる程、マックイーンは優秀だったそうですw
種牡馬としては同期のライアンと比べてもかなり落ちる結果で、この時点では成功したとは言えませんでした。
が、母の父としては大変優秀で、主な産駒というかお孫さんは以下の通りです。
・ドリームジャーニー:有馬記念、宝塚記念、朝日杯フューチュリティステークス、産経大阪杯、神戸新聞杯
・オルフェーヴル:中央競馬クラシック三冠(東京優駿、皐月賞、菊花賞)、有馬記念2回、宝塚記念
・タイセイレジェンド:JBCスプリント、東京盃、クラスターカップ
・フェイトフルウォー:セントライト記念、京成杯
・フーラブライド:愛知杯、中山牝馬ステークス
・ラブイズブーシェ:函館記念
そして・・・

皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2回、天皇賞(春)、共同通信杯、神戸新聞杯、阪神大賞典3回のゴールドシップです。
ウマ娘ではとても仲良し、というかゴルシがマックちゃんの事好きすぎますよねw

「マックイーンは厩舎内で見せた周囲に甘える姿と、競馬場で見せた堂々とした姿とのギャップ凄い」と関係者が証言しておりますが、ギャップはウマ娘でもめっちゃ感じます。
面白みは無いけど、絶対の安心感があった名馬
それがマックイーンに対する私の印象でしたが、ウマ娘のおかげでそれが壊れました。
これからもウマ娘でマックちゃんの可愛いところを見つけてイキたいと思います。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ

にほんブログ村 ゲームブログ スマホ・携帯アプリゲームへ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する