マイセンのブログ

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【名馬列伝】トウカイテイオー【帝王】

ウマ娘のアニメ2期の主人公であるトウカイテイオーの紹介記事となります。

・生い立ち

父は競走馬時代に無敗で制したクラシック三冠を含むGI競走7勝を挙げ「皇帝」と称されたシンボリルドルフです。
1988年4月20日、北海道新冠町の長浜牧場で誕生しました(母はトウカイナチュラル)
父の異名「皇帝」からの連想で、牡駒は出生直後より「テイオー(帝王)」と呼ばれ、幼名は「ハマノテイオー」と名付けられました。
幼駒のころのテイオーは脚が長く華奢な身体付きで一見して見栄えは良くなく、それほど高い評価は受けておりませんでした。
しかし、運動を始めると非常に柔軟性のある動きを見せ、関係者の期待を集めます。
競走年齢の3歳となった1990年10月、滋賀県栗東トレーニングセンターの松元省一厩舎に入り、競走名は幼名から冠名を替えたのみの「トウカイテイオー」で登録されます。

トレーニングセンターの調教では、ストライドの大きい馬は好タイムが出ないとされる坂路コースで際立った動きを見せ、松元調教師に大きな期待を抱かせます。
松元氏はクラシックを狙える馬であると感じ、皐月賞、東京優駿から逆算しての余裕を持ったローテーションを企画。
調教助手を担当することになった北口浩幸氏はその乗り味に驚き、自厩のスタッフをつかまえては「とにかく乗ってみてよ。こんな柔らかい馬はちょっといないよ」と絶賛し、実際に跨った者からは賞賛する言葉が相次ぎました。
装蹄師の柿元純司氏はテイオーの柔らかい繋に驚き、馬を曳く厩務員の東郁夫氏に「ダービー馬が来たな」と口にしたそうです。

・ジュニア期

12月1日、中京競馬場の新馬戦でデビューとなります。
これは左回りの日本ダービーを意識しての事で、ゴール前で手綱を抑える余裕をみせながら4馬身差で圧勝します。
次戦はOP戦で3番人気でしたが、当然の如く勝利します。

・クラッシック期

無理に強敵を相手にして消耗する必要は無いという陣営の判断で、年明け初戦は若駒Sでした。
このレースにはナイスネイチャも出走してましたが、単勝オッズ1.3倍と圧倒的な1番人気に支持され難なく勝利します。
次戦も若葉S(OP戦)でしたが鞭を使わずに楽勝。
無敗でクラッシック1戦目の皐月賞に挑みます。

4戦4勝とはゆえ、テイオーは重賞未勝利です。
それに対し阪神3歳ステークスと弥生賞を勝利したイブキマイカグラを抑えて一番人気となります。
レース内容は先行策から最終コーナーで大外を回り、最終直線で早めに先頭に立ちます。
そのまま先頭を維持し、ゴール前では手綱を抑える余裕を見せてクラシック初戦を制します。
競走後の記念撮影において、安田騎手はシンボリルドルフ主戦騎手の岡部幸雄氏に倣い、馬上で「まず一冠獲得」を意味する人差し指を掲げ「三冠獲り」を宣言します。

ウマ娘ファンの方はご存じだと思いますが、テイオーは無敗でダービーまで勝ち進みます。
事実、スポーツ新聞の競馬欄はテイオーがダービーを勝つ事が既成事実の様に報じ、単勝オッズ1.6倍の期待に応え3馬身差をつけて圧勝します。
競走後には祝福の「ヤスダコール」が起こり、安田騎手は記念撮影で皐月賞に続いて馬上で二本指を掲げます。
安田騎手は「ダービーに関しては(ルドルフより)テイオーの方が強い勝ち方だったのでは」と語り、2着のレオダーバンに騎乗した岡部幸雄氏は「(安田が)3、4回ミスしてくれても敵わなかった」と述べます。
ルドルフの調教師である野平祐二氏は「レースぶりはルドルフより余裕があった」と称えました。
ちなみにダービーで大外枠の馬が1着となったのは史上初でした。
ルドルフやシービーのクラッシック三冠の瞬間を見逃していたマイセン少年は「今度こそ三冠馬が見られるかもしれない。しかも無敗で!」と期待に胸を膨らませました。

ですが、アクシデント発生です。
表彰式を終えて競馬場内の出張馬房に戻る時点で歩様に異常があり、診療所でレントゲン撮影をした結果左後脚の骨折が判明。
「左第3足根骨骨折・全治6か月」と発表され、年内の休養と最後の一冠(菊花賞)の断念を余儀なくされます。
コレには私だけでは無く、多くの競馬ファンがガッカリしたニュースでした。

・シニア期(前半)

復帰戦はダービーから314日ぶりとなる大阪杯からとなりました。
騎手も父ルドルフの主戦だった岡部幸雄氏に代わり、レースを楽勝で勝ちます。
「テイオー復活」
多くの方がそう思ったはずです。

無敗のダービー馬のテイオーと現役最強と呼ばれていた前年度の優勝馬であるメジロマックイーンの「世紀の対決」です。
当時は超絶に盛り上がった訳ですが、普段は大げさな表現を嫌う岡部氏が「一杯になるという感じがなく、地の果てまでも走れそう」とコメントし、それに対して武豊騎手が「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」という胸熱な応酬がありました。
これがウマ娘で再現されるとは思ってもみませんでした。
当日の単勝オッズはテイオーが1.5倍の1番人気、メジロマックイーンが2.2倍の2番人気となり、3番人気イブキマイカグラが18.2倍と2頭から大きく離れる事となります。

ですが、結果は5着。
距離適性的に3200mは厳しかった様です。
ここでテイオーの無敗伝説は幕を閉じます。
「まぁ、中距離なら無敗だし次は宝塚記念辺りでヤってくれるよ!」と言っていた私でしたが、その後右前脚の剥離骨折が判明し春シーズンは休養となります。

・シニア期(後半)

9月に帰厩したテイオーですが、38度を超す熱発に見舞われ数日間調教を休む事になり調整に狂いが生じます。
復帰戦はぶっつけ本番で臨む天皇賞(秋)でした。
春の天皇賞で敗北→故障→調整不足とかなり厳しい状況でしたが、断トツの1番人気に支持されます。

しかし結果は7着。
メジロパーマーとダイタクヘリオスの激しい競り合いにより、前半1000メートル通過が57秒5という「殺人的なハイペース」の中、3番手を走っていたテイオーも当然の様にバテてしまいました。
初めて掲示板を外す結果となったテイオーですが、岡部氏はレース後に談話を取りに来ていたアナウンサーに対し「負けは負けだよ!」と叫び、松元調教師は「次のジャパンカップがピークというつもりでやってきたが、この負け方ではそんなことも言えない」とコメントしております。
ファンの間でも「トウカイテイオーはもう終わった」「二冠は相手が弱かったから」と言われる様になります。


次戦のジャパンカップは当年から国際G1競走として認定され、イギリス二冠牝馬のユーザーフレンドリー(G1競走4勝、当年の全欧年度代表馬)を筆頭に、史上初めて現役のイギリスダービー馬が一挙に2頭来日、オーストラリアから全豪年度代表馬のレッツイロープ、フランスからはアーリントンミリオンの優勝馬ディアドクターなど世界中の強豪馬が集まり、そのメンバー構成は「レース史上最強」とも評された程でした。
「こんなんテイオーじゃなくても日本の馬じゃ勝てないでしょ!」
そう言っていた方も少なくはありませんでした。
テイオーは日本馬では最上位ながらも生涯最低となるオッズ10.0倍の5番人気になります。

私は信じてました。
テイオーの単勝と馬連をバッチリ当てました。
2着3着は外国馬で、テイオーが力強く勝ってくれました。
まさに奇跡の復活です。
日本馬の勝利は1985年の父シンボリルドルフ以来7年ぶり3頭目で、同時にトウカイテイオーは日本競馬史上最初の国際G1優勝馬となります。


「ジャパンカップの時以上の出来」と報じられたテイオーはファン投票で17万票以上を獲得し、堂々の第一位で有馬記念に出走します。
騎手は騎乗停止処分になった岡部氏の代わりに田原氏へと乗り替わりますが、完全に復活した(と思われた)テイオーの勝利を私は疑いませんでした。

パーマーが馬鹿逃げで勝ちましたw
テイオーが負けた事も驚きでしたが、有馬記念であんなに凄い大逃げで勝ったのは本当に驚かされました。
テイオーはスタート直後に他馬との接触があってか11着と大敗を喫してしまいます。

・三度目の骨折

年明けに左中臀筋を痛めていたことが判明し休養に入ります。
3月に帰厩し宝塚記念に向けて調教を積んでおりましたが、レースの10日前に左前トウ骨の剥離骨折が判明し、再び休養となります。
この頃はBNWの時代で「ビワハヤヒデが最強なのでは?」と言われてました。
正直テイオーの存在を忘れかけていた私です。
故障ばかりしていて復帰出来るかもわからん馬よりも、葦毛で連対率100%の菊花賞馬に首ったけでした。
「トウカイテイオー有馬記念で復帰」
そのニュースを聞いて思った事は「一年ぶりで有馬記念勝てる訳ないじゃん!」でした。
それもそのはずで、そんな無茶なローテーションでG1レースを勝った馬は日本には存在しなかったからで、特にテイオーは骨折だけでも3回しています。
勝ち負け以前にまともなレースが出来るのか?という心配をしたくらいです。
当時は今と違って無茶な使い方をする馬主が多かった事もあり、無知な私は「馬鹿な馬主が勝てるはずも無いレースに出走させるのはよくないね(眼鏡クィックィッ)」と偉そうな事を言ってたと思います。
ジャパンカップは信じていた私も今回は期待感0です。
更に追い打ちで出走メンバーはテイオーを抜いても7頭がG1馬でした。
ウマ娘化している馬は、ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、メジロパーマー、ライスシャワーなどが出走してます。
前年の有馬記念から14kg増という馬体で出走したテイオーが勝てる可能性は限りなく0だと思ってました。

「残り200を切りました!ビワハヤヒデ!トウカイテイオーか!トウカイテイオーが来た!?トウカイテイオーが来た!!ビワハヤヒデとトウカイテイオー!ダービー馬の意地を魅せるか!?トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!トウカイテイオー奇跡の復活!!

マックちゃんじゃなくても泣いちゃいますよ。
オグリの有馬記念で魅せた復活劇ですら泣かなかった私が、馬券を思いっきり外したにもかからわず感動の涙を流しました。
私の友人知人親戚でテイオーの馬券を買っていた数多くの方々もみんなビックリしてました。
「応援馬券で買っただけなのに、まさか勝つとはw」
真の復活はジャパンカップでは無く有馬記念でした。
3度の骨折を乗り越えて1年ぶりのレース、しかも有馬記念で強敵を打ち破るというアニメの台本だったら「こんな都合のいい展開があるか!」と怒られそうなくらい凄い事をやってのけました。
この「前回の出走から中364日でのG1勝利」という記録は日本競馬史上初であり、未だに破られておりません。

・その後

春の天皇賞を目標に定めるも右トモの筋肉痛→宝塚記念に出走予定も前回故障の患部である左前トウ骨をふたたび骨折。
状態のの回復が思わしくない事から引退となります。
10月23日に東京競馬場で引退式を行いましたが、メインレースがオープン特別だったにも拘わらず10万人を超えるファンが訪れました。
この日のメインレースである東京スポーツ杯では、テイオーが勝った皐月賞で2着入着したシャコーグレイドが3年10か月ぶりの勝利を挙げ「テイオーへのはなむけでは?」と話題になりました。

・身体面の特徴について

テイオーの強さは体の柔らかさにあり、またそれが諸刃の剣でもありました。
牧場にいた時に柵を飛び越えて隣の放牧地にいたという逸話も存在する程の身体能力があり、関係者全員が口を揃えて「柔軟性がおかしいくらい高い」と言われてました。
テイオーのフォームは前脚が肩のあたりまで振り上がる程であり、それだけ脚にかかる衝撃も大きかったそうです。
常軌を逸したレベルの柔軟性により特殊なフォームが完成し、それが強さに繋がった。
しかし、それが足に多大な負担を掛け何度も故障するはめになったという事です。
競馬解説者だった大川慶次郎氏はテイオーの走法について「サラブレッドとしてターフの上を走る喜びを感じさせた珍しい馬だった」と評しました。

・気性について

父同様わがままでやんちゃな一面を持ちつつ、競馬場ではキリっとした面持ちでお利口になる馬だったそうです。
関係者の証言では、
「自尊心が強い」
「プライドが高く気の強い一面があった」
「落ち着き、賢さは父以上」
「競馬場で見せる顔と、厩舎でのギャップが凄い」
「何回も怪我をして復活できるというのは、凄い精神力があるからだろう。普通の馬なら自信をなくしてしまうところです」

との事です。
またテイオーは極度の潔癖症で、馬房では慎重に場所を選んで綺麗な藁の上でしか横にならず、自分のボロの上に寝る様な事がなかったそうです。
カイバを食べる時も口からこぼすことがなく綺麗に平らげ、口の中の麦をしっかりと飲み込んでから水おけに口をつけるため水が汚れることもなく、社台スタリオンステーションのスタッフは「こんなにきれい好きな馬は見た事が無い」と驚いたとの事です。

・容姿について

テイオーは容姿の面でも高い評価を受けており、気品溢れる姿に「貴公子」と呼ばれました。
現役時代は長い前髪がトレードマークのひとつでしたが、種牡馬入り後も多くの見学者が訪れるため「イメージを壊さないように」との配慮で意図的に長めに整えられてました。
野平祐二氏はテイオーについて「レースを走る前、周囲を睥睨するように見回すところなどもルドルフにそっくり。そんな父仔がついに日本の馬からも出てきた。私にはそのことが何よりも嬉しいんです」と述べてます。

もし「強いと思う馬を10頭挙げろ」と言われてもその中にテイオーの名は挙げるつもりはありません。
ですがトウカイテイオーはミホノブルボンの次に好きな馬で、私が年老いてボケるかポン中にでもならない限り忘れる事は無いでしょう。
大金を掛けたレースで馬券を外したのにもかかわらず(ここ重要)あれ程の感動を与えてくれて、心から勝利を祝福出来る馬なんて他にはいません。
ウマ娘というコンテンツでも魅力的なテイオーですが、度重なる復活劇を魅せてくれたトウカイテイオーという奇跡の名馬の事を多くの方に知って欲しい私です。


それでは、良きウマ娘ライフをノシ

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