【名馬列伝】ダイタクヘリオス【イケメン】
「新聞の読める馬」「ダイイチルビーの婿」「笑いながら沈む走る馬」などと呼ばれたヘリオスの紹介記事となります。
今では考えられない狂ったローテーションに驚愕しないで下さいねw
◆生い立ち
1987年4月10日、清水牧場にて誕生します。
父ビゼンニシキはシンボリルドルフの同期として彼の最初のライバルとして立ちはだかった馬であり、母系は狂気の逃げ馬カブラヤオーがおりましたが、当時は然程期待される様な血統ではありませんでした。
馬体的にも見るべき処は無く、気性も特に荒い処も無く落ちついた感じでやたら頑丈なのだけが取り柄の馬だったそうです。
関係者の間では「900万下くらいまではイケるんじゃないか?」と言われ、冠名「ダイタク」に、ギリシャ神話の太陽神「ヘリオス」を組み合わせた「ダイタクヘリオス」という競走馬名が与えられ梅田厩舎に入厩します。
◆ジュニア期
「やたら頑丈な馬」という評価を得ていたヘリオスですが、
10月に3回もレースに出て勝利を挙げると、翌月も翌々月もレースに出走し、GⅠレースでも2着に入ります。
道中掛かりっぱなしのレースばかりだったので「これだけ掛かっても入着するとか実は強いのでは?」とこの時から関係者も期待する様になったそうです。
◆クラッシック期
年明けのGⅢも2着でしたが、きさらぎ賞では不良馬場が災いし6着、スプリングSでは暴走気味の逃げで潰れて11着に敗れます。
その後クリスタルCで初の重賞制覇を成し遂げ、翌月にはOP戦を勝利しGⅡのNZT4歳Sでも2着と好走します。
1月〜6月まで毎月出走しているヘリオスでしたが、ここで初めて長期休養に入ります。
すっかりリフレッシュしたはずでしたが、放牧明けの輸送で脚を負傷した事で調整が遅れ、筋肉痛(コズミ)が癒えない状態の中マイルCSに出走となります。
17着。
続くシリウスSでも凡走し、当時年末開催だったスプリンターズSではバンブーメモリーに4馬身半以上離された5着でした。
◆お嬢との出会い
年明けのOP戦も4着と奮いませんでしたが、中1週で挑んだマイラーズCでGⅡ初制覇をし、1番人気となった次走では期待に応えられずの4着でした。
その後運命の出会い(?)が・・・
ヘリオスはすれ違った牝馬がチラ見するほどのイケメンだったそうですが、そんなヘリオスに見向きもしない名牝と出会います。
6着と惨敗したヘリオスですが、1着は華麗なる一族で有名なダイイチルビーでした。
続く安田記念でもルビーお嬢が1着でヘリオスは2着。
CBC賞を挟んで7月の高松宮杯では距離適性の有利もあり、初めてお嬢に勝利します。
高松宮杯は父トウショウボーイのみならず、母ハギノトップレディ、母母イットー、叔父ハギノカムイオーが優勝していて、お嬢にとって特別なレースだったのです。
母・娘・孫娘による三代同一重賞と偉業に期待が懸かり、当日は1.4倍の1番人気に支持され、中京競馬場には史上2番目となる約4万6000人のファンが集まったのです。
それを「ヒャッハー!」とヘリオスが逃げきってしまったので、ウマ娘化したお嬢がヘリオスに対して塩対応になるのは仕方が無いと思いますw
◆初のGⅠ制覇
「安定性は無いモノの力はある」という評価を受けていたヘリオスはマイルCSで4番人気となります。
ちなみにダイイチルビー1.8倍、スワンステークスを勝利したケイエスミラクル4.3倍、バンブーメモリー10.6倍でした。
「ハナを獲らない先行策」を指示された岸騎手でしたが、スローペースだと見抜き、早めの進出で第3コーナーで仕掛けて単独先頭になります。
残り200mで脚色が鈍りますが、
最終コーナーで作ったリードのおかげでGⅠ初制覇を成し遂げます。
続く有馬記念では5着でしたが、短距離〜マイルを主戦場とするヘリオスが何故5着に入れたかは謎ですw
年明けはお嬢も出走したマイラーズCを60kgという斤量を背負って5馬身差をつけて連覇します。
京王杯で4着だった後、安田記念でヤマニンゼファーに敗北し、
宝塚記念ではメジロパーマーと「うぇぇぇえええい☆」して5着に入着します。
マイラーなのに中距離GⅠで5着は立派です。
◆鬼の様なローテーション
秋は毎日王冠から始動し見事勝利します。
この時2着だったのがヘリオスと何度も対戦していたイクノディクタスで、3着にナイスネイチャ、5着にはダイワスカーレットのお母さんであるスカーレットブーケが入着しております。
1月も経たずに天皇賞(秋)に出走しますが、パーマーと一緒に狂ったペースで馬鹿逃げして8着。
それに巻き込まれたテイオーが可哀そうでした()
ネイチャ3着、ゼファー5着、イクノ9着だったマイルCSですが、ヘリオスが見事に連覇します。
実はこの時、獲得賞金額が6億円を超え(史上4頭目)勝ちタイムもレコードと何気に凄い事をしてました。
そして次走のスプリンターズSが引退レースだったのですが、
某天才少女がむちゃんこ凄い脚で飛んできて、ヘリオスは4着でした。
本当はここで引退となる予定でしたが、病気で寝込んでいたオーナーの中村氏が「もう一度ダイタクヘリオスの走りを見たい」と希望したため、連闘で有馬記念に出走します。
パマチンと仲良く・・・では無く、ヘリオスだけ掛かって惨敗し、パマチンが有馬記念を制覇します。
◆種牡馬実績
1996年から種牡馬になるのですが、同種馬場にはイナリワンとミホノブルボンも繋養されていたため、見物客は一年間途切れなかったそうです。
種牡馬実績としては産駒のダイタクヤマトが2000年のスプリンターズSを優勝し、JRA賞最優秀父内国産馬、JRA賞最優秀短距離馬を受賞しております。
◆悪癖の宝庫
主戦騎手であった岸氏はヘリオスについて、
「まともに乗れたらどれだけ強いんだろうと、そう思わせる馬」
「乗り役と喧嘩さえしなければ、2500mの距離でも持ったかもしれません。勝ったのはマイル戦が多かったけど、必ずしもマイラーだった訳では無いと思う」と語っておられます。
そんなヘリオスですが、毎日王冠の本馬場入場時に岸氏を振り落としてます。
掛かり癖が酷い事でも有名なヘリオスですが、直線で単独先頭に躍り出た直後に走る気を失う「ソラ」現象にも陣営は悩まされ、更に首が高いフォームで口を割りながら走る癖もあり、それが「笑いながら沈む走る馬」と呼ばれた所以でした。
舌を出しながら走る癖があったり、ゆったり走ってるかと思いきや直線でいきなり加速したりと、とにかく扱いにくい馬だったみたいです。
この時代の短距離&マイル路線は上記の4名以外にもバクシンやフラワーちゃん、シンコウラブリイなど半端無く層が厚かった上に、バンブーメモリーとまで対戦しているヘリオスはよくこんなローテーションでGⅠを2勝も出来たモノだと感心しております。
いつも負けているイメージが強かった気もするのですが、1989年の10月デビューで1992年の年末までに35戦もして重賞を7勝もしながらGⅠ2着が2回もありますので、文句無しで実績のある名馬だと思います。
私の中のヘリオスのイメージは「丈夫なイケメン」だったのですが「笑いながら走る」という要素を入れた結果、ギャルヘリオスが爆誕したのだと考えると合点がイキます。
GJ!ウマ娘運営。
それでは、良きウマ娘ライフをノシ